2010/07/29

Here is part of China, but Special : Hong Kong


I come up an idea of Hong Kong travel advertisement. The title of campaign is "The tourist" and the copy is "Here is part of China, but Special : Hong Kong". 
I think Hong Kong is unusual, really.

2010/07/27

bakery mon in Fukuoka




 


 


 


 


 


 

 


 

 
The best thing about bakery mon is that it provides a wide variety of breads, including apple pie, bagel, danish, croissant, focaccia that is Italian bread and sandwiches. It also offers cookies, rusk, muffin (my favourite is ginger maffin and the smell is plesant) and traditional German cake stollen and you can find more bread. That is sweet and soft Japanese bread and then some might say it looks Wagashi, which is Japanese traditional cake. Your breakfast would be enjoyable from this large selection.

bakery mon is hospitable and sell at an affordable price. And the store location is attraction for customers as well. The store can be found at Ohtemon in Fukuoka city and close to one of the best parks in the city - Ohori Park. After popping in to the store and picking up their fovourite, they would visit Ohori Park where is a relaxing and peaceful lake park and chill out there with tasty breads.

Address:1-6-3 Ohtemon, Chuo-ku, Fukuoka city,
Fukuoka (The store is close to Akasaka Station)
Opening hours : Mon - Sat 10:00 - 18:00
Closed on Sunday and public holiday

2010/07/26

Nury VittachiのTRAVELLERS' TALES

ずっと頭の片隅に気になっていた本に遂に遭遇。かつて、The Economistがどんな雑誌か調べているときにこのページで知って以来なぜか頭からこの本が離れずにいた。これは最高にくだらないネタが溢れている貴重な本。

どんな内容かといえば、
インド人の料理人を募集してるつもりなんだろうけど、料理人を指す、cook(コックさん)をcockと誤表記。

この本の著者のブログありますね。


                                                    「バナナと電話を間違えてるよ」

こんなセリフ、コントでも聞かないよ。

けど汗かきのツッコミ芸人が「お前、バナナと電話を間違えてんじゃねーよ!!」「お前、バナナと電話を間違えてんじゃねーよ!!」と、このフレーズを2、3回繰り返しそうな「図」が浮かんだ。そして観客は、精神の鍛錬を受けてる感じ。場所は、浅草、時代は、昭和か。


これは、パナソニックの電話のトリセツ。この図の3番目の説明が、

Speak to the other party  (当事者に話して下さい)

これは、ダイアルをした後に「話すことを忘れる」ことを想定したパターン。

日本企業のディティールに対する想像力は、圧倒的。どんなパターンにも対応出来るってやつですね。

このNury VittachiのTRAVELLERS' TALESという本は、香港、日本、中国、マレーシアなどアジアの国々での英語のスペルミスやその国の風習をネタにしていて、面白かった。ちなみにこの本をアマゾンで検索したけど、出てこなかった。



2010/07/24

2010/07/22

円の25年前と人民元の25年後

2010年、円は、米ドルに対して5%上昇したが、 では人民元は? 約1ヶ月前の6月19日に、中国人民銀行は人民元の改革を進め、為替レートの柔軟性を高めると発表した。そしてこの発表後から1ヶ月経って、 0.8%米ドルに対して上昇。この変化の幅は、まるで微調整。それほど、為替レートの変動はゆっくりで、限定的。そしてアメリカのチャールズ・ シューマー上院議員は、この変動ペースに不満足。はたして人民元はどこを目指すのか?

2年前の2008年7月から開始された、米1ドルに対して6.83元と固定されたドルとのペッグ制を放棄した人民元はどの程度影響を与えるのか?例えば「世界経済の不均衡 」という状況に、人民元の上昇は効果的な解決策となりうるのか。その疑問の前に、そもそも、中国は人民元をどれほどのペースで、どこまで切り上げるつもりなのだろう?

人民元は、中国国内の経済を痛めない、そして深刻な問題が発生しないペースと幅で上昇する。中国は、日本の急激な円の切り上げの教訓を知っている。知っていなくても、ゆっくりなんだろうけど。

円は、1985年のプラザ合意の後に、急激に上昇した。プラザ合意は1985年の9月22日に発表され、その翌日の月曜日に米1ドルが235円から約20円下落し、215円に。11月25日には200円を記録し、1年4ヶ月後の1987年1月19日に150円へ。この激しい円の上昇に反応して、円高による不況が始まった。その防止のために低金利政策が取られたが、その結果、不動産、株式への投機が高まり、バブルが発生する。結局1990年前後に株、土地の価格が急速に下落し、多数の投資家が資産を失うと同時に後にやっかいな不良債権などの問題が発生し、現在に続くデフレの状況がバブル崩壊以後、20年近く続いている。バブルの影響を今でも受けているわけで、その根源は通貨の大幅な変動にあった。通貨の変動は、当時は気づかないかもしれないが、後の数十年の経済状況を混乱させる効力があった。

中国も、日本のように通貨の急激な上昇が輸出産業を苦しめ、短期的に過剰な投機を刺激するとともに、ヘタすれば、将来デフレのような問題に発展する可能性もある。通貨の政策には慎重な、長期的な視点が欠かせない。日本のように、数十年も賃金が上昇しない状況になると、なにより社会のテンションが下がって、活気が失せる。つまり元がかつての円のように急上昇するのは、中国とって理想的ではない。

そして中国の産業構造からして、元の急激な切り上げは、ダメージが大きい。中国は輸出産業に頼っているため、急速な元の切り上げは、国内輸出企業にインパクトのある打撃を与える。通貨の切り上げで国内企業の成長が停滞すれば、企業は雇用を止め、さらに従業員の解雇をしなければいけない。この状況を当然中国、そして元気の無い世界の国々も望まないし、中国の経済活動をカバー出来ない。

アメリカからすれば、過去の日本のように、 さっさと通貨をアメリカが恩恵を受けるレベルまで切り上げて欲しいのかもしれないが、それをすれば中国経済がかつての日本のようになってしまうおそれがある。いくら元の切り上げが 「世界経済の不均衡」の解決に向かうとしても、 国内経済の成長が止まり、そして問題が発生するなら、中国は元の切り上げを急がない。中国は国内の経済状況と照らし合わせ、問題が発生しないペースで通貨を上昇させていく、つまり中国は国内の問題を優先する。

では、中国はなぜ人民元を米ドルとのペッグを放棄したのか?何か中国に良いことがあるのか?1つは、米ドルとのペッグ制を止めたことによって不当にコントロールされた通貨を通して輸出企業が利益を得てるという批判に応えたこと。この調子だと再び、批判されるかもしれないが。2つ目は、中国は世界最大の米国債保有国だが、ドルとのペッグ制を放棄して、米ドルの下落のリスクをもろに受けるような状況から、例えば、米ドルのリスクを分散するような自由な通貨政策が可能になった。最後に、金利を上げない代わりに、通貨高によって原油や石炭などの輸入品の価格下落を通じてインフレーションを抑えることが出来る。人民元の改革を通して、中国は徐々に自分たちの望むシステムを構築している。


25年前のプラザ合意を現代から眺めたら、結果的に、日本の今日の生活に大きな影響をもたらしている。プラザ合意のインパクトはすごかった。その教訓は中国の参考資料となっている。そして中国は、これから過去の日本の過ちに陥らないように進んでいく。25年後に、今回の中国の為替政策にどのように判断されるのか。

もしかして、25年後に中国の今回の為替政策が経済の停滞を生む原因として参考資料となったりするのかな。

2010/07/12

チベットはどこまで変わるか?

「チベット」という名前が将来、変わることはあるのか?現在、中国は、チベットで空、鉄道、道路の交通網の拡大と整備を急激に進めその結果、チベットが変化してる。

2010年7月1日、建設に2億4200万ドル費やしたグンサ(Gunsa Airport)空港が、インド、ネパール、新疆ウイグルと接するチベット自治区西部のガリ地区に4番目の民間空港として開港した。

2007年の5月に建設が始まったグンサ空港は、海抜4274メートルの高さに位置し、4500メートルの滑走路を持つ。この空港の誕生により、 1600km離れているラサまで、車では3、4日必要だが、100分でラサに行くことが可能になる。また空港がチベット西部にあるため、インドとネパール の国境沿いにあるカイラス山、マナサロワー ル 湖といった神聖な場所への交通を容易にし、2020年までに12万人の利用者を見込んでいる。

そして、さらに今後2つの空港が2015年までに開港する予定。ひとつは、2010年の10月にチベット中央部のエベレスト山に近いシガツェ地区に平和空 港 (Peace Airport) というかなりメッセージ性のある名前の空港で、年間23万人の利用が可能。

もうひとつは、2014年にナクチュ地区に開港予定のナクチュ・ダグリン空港 (Nagqu Dagring Airport)。建設に2億6300万ドル投資され、2011年に工事が始まり、完成に3年を想定している。完成すれば、海抜4436mの高さにある世 界一高い空港となり、チベットの6つの地区全てに空港があることになる。

このナクチュ地区は、青蔵鉄道が運行しているエリアであり、青蔵鉄道とこの新たな空港がリンクすることになる。より交通が密接になって観光業など、さらなる商業的発展の要素が増える。

この青蔵鉄道は、4年前の2006年の7月1日に運行を開始し、初年度に200万人が、そしてこれまでに合計 500万人が利用している。ゴルムドとラサを結び、建設費が40億2000万ドルだと言われる青蔵鉄道は、広州、北京、上海などの大都市とも繋がってい る。また青蔵鉄道の線路をラサから、南のネパールへと延長する計画がある。ネ パール側は、早く経済的結びつきの為にも実現してもらい たいみたい。

また、空港、鉄道の急速なネットワーク化に加え、道路網も同時に発展している。道路開通距離が5万3千kmを突破し、2009年には、道路建設が2008年に比 べ約34%近く増加し 、約9億ドル投資されている。また自治区内49県でアスファルト道路が開通し、四川省、雲南省、新疆ウイグル、さらにはインド、ネパールまで道路網が拡 大して いる。BBCが写真入りでこのネパールとチベットの国境の道路建設のことを詳しくやってます。


これから、チベットはどうなるのか?

2010/07/07

キャセイパシフィック航空の香港〜羽田線の復活

香港〜羽田線の復活は、キャセイパフィックにとって32年ぶりで、利便性が増すこの復活は乗客にはうれしいニュース。

発着が羽田空港になり、なによりも大幅な時間短縮が可能になった。成田から都心までは1時間ほどかかるが、羽田からは、東京モノレールを利用して、20分程で浜松町駅に到着する。

キャセイの運航予定は、2010年10月31日より、毎日2便の香港〜羽田線と、台北経由の1便を含む毎日5便の香港〜成田線の合計7便の新たな運航が始まる。

この運航は、現在の香港〜成田線の6便を1つ減らし、新たに香港〜羽田線を2便増やしたもの。

新たなフライトのスケジュールで特徴的な便がCX524便。この便は香港の深夜1時頃に出発し、成田に早朝の6時に到着する。そのため、旅行者やビジネスマンに早朝からの行動を可能にする。

以下が今後のフライトのスケジュール。(時刻は現地時刻)

香港〜羽田線
便名    出発地  到着地   出発時刻/到着時刻   運航日
CX548   香港   羽田   08:30/13:25  毎日
CX542   香港   羽田   16:05/21:05  毎日
CX543   羽田   香港   10:45/15:00  毎日
CX549   羽田   香港   16:25/20:40  毎日

香港〜成田線
便名    出発地  到着地   出発時刻/到着時刻   運航日
CX504   香港   成田   09:05/14:10  毎日
CX450   香港   成田   10:05/16:55  毎日(台北経由)
CX520   香港   成田   10:20/15:20  毎日
CX500   香港   成田   15:20/20:20  毎日
CX524   香港   成田   01:05/06:00  毎日
CX509   成田   香港   09:15/13:25  毎日
CX501   成田   香港   10:45/15:05  毎日
CX451   成田   香港   15:30/21:30  毎日(台北経由)
CX521   成田   香港   16:20/20:35  毎日
CX505   成田   香港   18:20/22:35  毎日

2010/07/02

千里の道も一歩から「人民元の国際化」

人民元決済の試行地区の拡大は、人民元の準備通貨への「小さな」ステップだが、それは千里への道へつながってる。6月18日付けのFinancial Timesのブログ「Beyond Brics」にそのことが。

2009年7月以来、上海や広東省エリアでは国際貿易の人民元決済が可能であったが、そのエリアを20省拡大する。NAC国際会計グループが運営するサイト、「NAC Global .NET ~総経理のための香港・中国・東南アジア法令情報~」で、省の詳細が分かる。

じゃ世界では、人民元の決済は始まっているのか?

2010年4月17日に中国とベネズエラが協定に調印した際に、中国は約200億ドルのうち半分を人民元建てで融資する。 詳しい協定の内容はこちら「エイジアム研究所

始まってるし、南米で。あのベネズエラで。

今後、中国はアジア大陸内で交通網の発達のおかげで貿易の繋がりがこれまで以上に強くなるから人民元の国際化のスピードもさらに加速するでしょ。The Economistのアジアに関するブログ「Banyan」にそのことが。この記事の中で、中国と中央アジ アの貿易は1990年に1億6000千万ドルだったが、2006年には70億ドルへと急増したんだと。16年の間に日本円で、だいたい6000億円の増加、ちなみに今日のレートで。(1米ドル = 87.0625109 円)

交通網が整い、中国が中央アジア、あるいは中東の諸外国との関係を政治的にも強くしていけば(もうしているんだろうけど)、人民元はより多くの国で決済される可能性が当然ある。そういう方向の流れで、国内の人民元決済拡大があった。


ドルやユーロがグラついている時期に、着実に人民元の影響、効果、存在感を諸外国にアピールしてるでしょ。あと、今現在、為替相場荒れてるみたいです。

2010/07/01

The Economistの「Johnson」が再び登場

2010年の6月7日、The Economistのブログにサミュエル・ジョンソンの名前にちなんだ「Johnson」というブログが始まった。

サミュエル・ジョンソンは、英語辞書の編纂で有名で、ブログ「Johnson」は言語に関する話題を取り扱う。政治家の言葉、英語の使用法、そして学術的な言語学のことなどブログで紹介するみたい。

1992年から1999年まで、月に一回、コラムを書いていたらしいが、再びこの時期に「言葉」を取り扱うブログをやり始めたことは、気になる。