2015/05/10

「九龍城砦 Kowloon Walled City」宮本隆司

この前、友人にフットサルを誘われた。サッカーボールに最後に触れたのはいつか忘れていたが、友人の「サッカーやってたことある?」という問いに対しては「まあまあ少しだけ」という自信をのぞかせる返答をしておいた。フットボール開催当日、サッカーをかじっていたこともあったので「意外とやるじゃん!」という声を期待していたものの、そんな空想はコテンパに打ち砕けた。仲間(フットサル素人)を誘いそのチームで試合に臨んだ。試合を引っ張る意気込みだったが、試合が始まった途端に「もうだめじゃん」という空気が流れる。例えて言えばスラムダンクの山王戦の後半5分が経過した湘北。「まだ慌てるような時間じゃない」なんて遠い言葉で、フットサルなのにバスケ並に点数を奪われ、バッサバッサとゴールネットを揺らされる。サッカー経験の無い友人は、コートで大の字になり「もうだめですわー」。2006年、ドイツワールドカップでブラジル戦の試合終了後に大の字になった中田を奇しくも思い出す。あまりの弱さを肌で感じた主催者の意向により試合終了後「じゃチーム替えをしまーす」という声で実力の不均衡は解消された。チーム替えの後、だんだんフットサルに慣れてゴールも決めるようになり、短い時間の中でも成長を感じる取る事が出来た。疲れ果てた友人はチーム替えの後にFWに配置され絶好のゴールチャンスで2、3発豪快な「ナイスクリア」をかました。この時にはプレイヤー全員がドイツワールドカップのクロアチア戦を思い出さずにはいられなかった。

フットサルが終わりその足でラーメン屋に入った。ジャミロクアイやシャーデーが流れる店内で、ラーメン屋の店主はDJも兼ねてるんじゃと皆で気になったが、やはり気になるのは足の張りで、予想はしていたが、筋肉痛が1週間続いた。「うち、薬局やねん」というような友人もおらず錆び付いた体の回復を待ちつつ、色々フットサルについて考えた。サッカーと比べフットサルはボールを扱うスペースが狭く、ボール回しも早かった。またスペースが狭いから人との接触も多い。攻守の切り替えに早く対応しないといけない。一つの動きが得点、失点に繋がる。常に身体と判断をフル稼働させている感じだった。いかに狭い環境でパフォーマンスを発揮するか。フットサルのことを考えていたら、フットサルと香港が頭の中でシンクロした。

狭い空間と言えば、香港。そしてその狭い環境に数万人が住んでいた建物と言えば「九龍城砦」を思い出す。2.7ヘクタール(1ヘクタール=100m×100m)というスペースに約500棟の不法建築。その建造物を撮影した写真集が「九龍城砦 Kowloon Walled City」だ。いつどこでこの建物の存在を知ったのか今では忘れたが「九龍城砦」という奇怪な建物が香港という場所に存在していたことに興味を持っていた。九龍城砦はもう壊され今では公園になっているが、当時は、様々な悪名高いネーミングが付けられた建造物だった。建物の中では、賭博、売春、麻薬の売買など悪事が横行し、「魔窟」と呼ばれていたらしい。いわば「ワルモノ」の住処で巨大スラム街だと思っていたが、実際は幼稚園や老人ホーム、そしてお菓子の製造工場や歯医者など様々な人が狭い空間を利用し、共存していた。あらゆる街の要素が詰まった究極の都市空間だ。

「九龍城砦 Kowloon Walled City」の巻末に九龍城砦の歴史の詳細があるが、ここは行政から関与を受けない場所として移民が住み始めた。もともと九龍城砦は木造バラックや石造りの低層の家屋だったらしい。住む空間が足りなくなった移民が、自分の家を「足し」ていった。その結果、建物がコンクリート化、高層化し、最高16階建ての高層ビル群となる。また行政の手が届かない場所のため、税金や法的規制を逃れるために人や小さな工場などが集まった。また中国大陸の医師が香港では開業出来ないため九龍城砦で開業し、医療を求める庶民の香港人の需要に応えた。そして九龍城砦には、診療所の他には飲食店、学校、青少年センター、そして一方でストリップショーや売春など無数のサービスが存在していた。平凡な街が持つ機能を遥かに凌駕するであろうこのハイブリッドな建造物には4万人ほど住んでいた人がいたらしい。

写真集の「九龍城砦 Kowloon Walled City」にはあまり人が映っていない。建物の外観、そして建物内部の廊下、狭小の部屋、無機質な郵便箱、そして廊下の天井や無数の機能しているかどうか不明のコードやパイプ管。廊下の壁面の地面から天井まで覆い尽くす無数の診療所の看板、壁に手書きした案内の文字。限られた場所でしか生活出来ない人達の空間の記録だ。前に香港に行った際に、跡地となった公園を訪れたが、子供達が遊ぶ平坦な場所でそこに4万人が住んでいたということはなかなか想像出来なかった。九龍城砦は1993年から1994年の間の10ヶ月間で解体された。
宮本隆司「九龍城砦 Kowloon Walled City」1997年 平凡社





2015/04/18

「香港返還」小木哲朗

JRの渋谷駅ホームまでの階段を登っているときに「新宿駅で安全確認を行った影響で電車の到着が遅れています」というアナウンスが聞こえた。「またかよ」と思いつつも、通勤ラッシュの時間にはよくあることだ。横からタンタンタンと階段を3段飛ばしの勢いで駆け上るスーツ姿の男が一瞬で去っていった。「またかよ」と思いつつも、その走りに人生が乗っかっているかのような姿は駅のホームではよくあることだ。階段を登りきると、駅ホームには想像以上に人が溢れていた。この朝、渋谷駅には場所、人、電車と余裕がなかった。数分の電車の遅れで駅ホームはもうパッツンパッツン。次に来る電車に乗るのを諦め、次の次に来る電車を待とうと思い列に並んだ。数分遅れで電車がやってきた。人がごった返す中、乗客は降り、待ちに待っていた人がグイグイ乗り込む。電車はパンパンになり、膨張感がある。松村邦洋ぐらいのサイズ感か。列の後ろに並んでいた人達は電車の中の押し詰め状態の人々を見ながら、次にくる電車を待っていた。扉がなかなか閉まらない中、電車の扉に男性が突っ込んで来た。年齢は65才ぐらいだろうか。笹野高史似の男性が乗車率300%の電車に飛び込んだ。電車に乗っている人も待っている人も声には出さないが心で「嘘でしょ?」という気持ちだったに違いない。ガバガバなサイズのスーツを着たその男性は、電車に乗車したと言っても体の四分の三が電車の「外」に出ていた。皆の視線がその男性のプルプル震える体に突き刺さる。靴のかかと、そして指先が扉の上部に引っ掛かっているだけで、体はエビ反っている。扉が閉まるというアナウンスにも関わらず、男性の体は弧を描いた状態。結局、腰をしっかり落とした駅員が両腕をしっかり伸ばし男性を押しに押し込みようやく扉が閉まった。全速力でホームを走る人や捨て身覚悟で電車に滑り込む人というなんとも余裕の無い人達に遭遇した朝だった。

エビ反りの男性に次の電車を待つという選択肢はなかったのかなと思い、昔読んだ本を思い出した。それは「香港返還」という本で、この中に登場した人は、余裕のある人達だったなと記憶している。この本は、著者が大学時代の1981年から1982年の間に香港に留学し、その後、大学の同級生達を訪問し、彼らがどのような人生を送っているのかインタビューを行ったもの。香港返還に対してエリートの香港人がどのような決断をして、どのような行動を取ったのか垣間見ることが出来る本だった。読後に感じたのは彼らの余裕のある心構えだった。彼らは自分の決断に自信を持っていて、自分で人生を選択したということで生まれる自負のような、しっかりと自分の人生と付き合う余裕さがあるように感じた。覚悟、そして決断したからこそ生まれる余裕。彼らに共通しているのは、自分達の選択肢を見極め、決断していることだった。例えばオーストラリアに移住した香港人女性の「私がもし香港に残って、この二年間不動産会社を続ければ、もしかしたら数千万、いや数億のお金が儲けられるかもしれません。しかしどんなにお金を払っても、香港では買えないものがあります。それはいざというときの''保証''です。私はその保証がほしいのです。人生には、その時々でやるべきことが決まっているものです。適切なときに行動を起こさなければなりません。代価はどうであれ、今やらなければ、機会を逃してしまう」という言葉には、数ある選択肢から自分でその道をピックアップしたというスタンスが余裕を感じさせる。

広島カープの黒田投手にも余裕を感じた。メジャーに残る選択もあったが、カープを選ぶ。難しい選択なだけに、決断には深い想いが宿る。そしてその誰にも共有出来ない自分だけの想いが、余裕を生み出している気がする。自分の立ち位置を明確にし、より精神的にも身体的にも余裕を持って野球に臨めると思う。カープで野球をする事の方が一球の重みを感じれるんじゃないかなと自分自身で判断した」という黒田投手の言葉。一球の重みを感じるためにカープを選ぶクールさは誰も真似出来ない。
小木哲朗「香港返還」1997年 朝日文庫

選択肢があり、決断した人々

昔の香港人男性の目標

2015/03/31

「中国茶と茶館の旅」平野久美子 布目潮渢

このまえ渋谷の駅で表参道方面からやってくる電車を待っていた。要は田園都市線に乗るためで、時刻はあと数十分で日付けが変わるという夜遅い時間。そんな時刻にも関わらずホームには行列。数分間隔で電車が乗客をチャッチャッ運ぶにも関わらずホームには人が次々押し寄せワンサカしている。渋谷で電車を待っていると渋谷ならでのは人がいるから面白い。レザーのミニスカートにナイキのくるぶし丈のソックスと下駄を合わせてきたガール。ヘッドフォンはビーツ。「私分かってますから」という無言の表情。その後ろに、足元はグレーのnew balanceでパンツはスエット、手元にはカモ柄のエルベシャプリエのカバン。黒ぶち眼鏡のシニア女性は齢50ぐらいだろうか、顔は堂々のスッピン。「私お洒落なんで化粧不要です」みたいなスタンス。ニット帽のバランス感が気になるのかずっといじっている。さすが渋谷。いろんな人種がいる。そんな中、電車待ちでイライラしてるサラリーマンが行列の先頭にいた。スマホ画面とにらめっこ。わずかな待ち時間をスマホをイジって潰している。そんな数分程度でキリキリする?と思っていたら、待望の電車が到着。我先に乗車しようと扉間近でピタっと待つ男。扉が開き、乗客が湧き出た水のように降りていく。ようやく皆、降りたかと思ったら扉の近くで女性グループがダベっていてこちらの侵入をブロック。女性グループの数名はそのまま電車に残り、一人が渋谷駅で降りるようで、バイバイする女性がなかなか電車を降りずにいた。「コチトラ好きでツムツムしてんじゃねーぞ、さっさと降りるかい!」と電車に乗りたくてしょうがない男はスマホと降りない女に目配せしながら心の中で言ってるんじゃないか。首都圏のストレスが生まれる現場に遭遇した気がした。でも時間にして3、4秒。

世知辛い世の中。どうにかならないのかなと思っていたら、渋谷でミランダ・カーが出ている烏龍茶の広告を見た。ついに健康を売りにするアジアンな烏龍茶に外タレをぶち込んできたかと思った。個人的には、ファッションじゃなくてコアなインパクトが欲しかった。例えばDr.Dreあたりがラーメンを勢い良くススり、シメに烏龍茶を飲むなんて映像はなかなかイケると思う。旨いもんがっつくけど、締めるときは締めまっせみたいな男気を伝える画はまだない気がする。欧米でお茶の需要が伸びる中、グローバル商品として世界にかませるコマーシャルも見てみたい。トンカツ屋でしれっとカバンからペットボトルを取り出し飲む感じは消化不良だった。仮にDr.Dreだったら堂々とペットボトルを表に出してカブ飲みしてたと思う。しかも無駄に両腕を前方に出して。どうせ飲むなら真っ向から飲んで欲しい。そして気持ちよくお茶を飲む事が出来る場所って大事だなと思った。ストレスを洗い流す場所。そんな最適な場所を知るのに便利な本が「中国茶と茶館の旅」だ。これはホント。情報がかなり古いので要再確認ではあるが。

中国には茶を飲む歴史があり、そして同時に庶民が茶を楽しむ場所も築いていたことがこの本で分かる。日本にはいまやコンビニ並みにコーヒーチェーン、カフェが街に溢れているが、学生、サラリーマン・OLの作業場と化していると感じている人も多いんじゃないだろうか。まるでオフィスか自習室か図書館みたいで、「ここカフェ?」みたいな場所も多いし、和みからは程遠い。一方「中国茶と茶館の旅」で紹介されている茶を飲む場所、いわゆる「茶館」はとことんリラックス出来る場所。茶館は人が集い語り合う場所で、お茶を介して人々は安らぐ。そして自然を上手く取り入れているのがよく分かる。本には台湾、中国、香港の茶館が紹介されていて、その他に中国茶の基本的な歴史や淹れ方なども載っているのでぜひ参考にしてみたい。油に効くお茶もいいが、ストレスをきれいさっぱり洗い流すお茶、そしてストレスを粉々に砕く自然美に包まれた茶を飲む場所を訪れるのもいいかもしれない。
平野久美子 布目潮渢「中国茶と茶館の旅」1996年 新潮社
中国のデザインでは好きなもの。茶や薬のデザインはいい。
ノスタルジック風情な写真
台湾、香港、中国の茶館を紹介。それぞれ雰囲気が違って面白い
コップのデザインがいい。
労働者が休憩。椅子とテーブルがあればお茶。
お茶の味も視覚で変わるに違いない
中庭の喜び。自然と共に時間を過ごす一時
内と外の絶妙なバランスの空間。居心地が良さそう

自然と一体。全身で自然を感知。
お茶のあては自然。ぐいぐいイケるし、ちびちびイケる