2015/01/25

「香港大脱出」ジョン・トレンヘイル

食、買物、美容。この3つで香港のガイド本は成り立つ。きっと食だけでも成り立つ。香港は食に恵まれた旅行地で、日本から比較的近く、そして洗練された癒しのスポットもある。国際都市として磨かれた都市機能と市場や路上で感じるローカルの活気が人を惹き付ける。今日も多くの旅行者が日本を出国する。少しばかり、日本から離れて異次元の場所で体と心を充実させる。ちょっとした脱出先には理想的な場所に違いない。旅行者だけじゃない。香港は金持ちも貧乏人も呼び寄せる。移住を考えている金持ちや理由無く長期滞在したいバックパッカーも香港へ旅立つ。香港は人を受け入れる。そして香港にハマる人がいる。何度行っても慣れる事はあっても、飽きる事はないが、そして心がその場所にフィットするような感覚が生まれてくる。と思いながら香港本を手に取る。

今回の香港本は、香港の中国返還を目前にして経済、軍事、政治などが絡む小説。香港の経済界の団体が、香港が中国に返還される前に極秘に香港から脱出することを画策する。一方、中国は脱出を阻止する。この小説は、「中国への返還によるシステムの変化」という要素がストーリーを前に押し進めている。そして香港は人を動かす街だと改めて感じた。

ジョン・トレンヘイル「香港大脱出」1992年 扶桑社 カバーのテイストがある意味香港っぽい

2015/01/18

「歴史・小説・人生」浅田次郎

以前に会った香港人が、「香港が中国に返還されたら、どうなるか分からないからという理由で私は両親に言われて返還前にカナダに行かされた」というようなことを聞いて、まだどうなるか分からない先のことを見据えて子供を異国の地へ移動させると言っていいのか、移民とも違う気がするが、その決断に香港を感じた。地球規模で転々とする。香港が大丈夫であれば戻ってくるし、そうでなければ娘を頼ってカナダに行く。香港人の行動には好機と危機感という意識が常に頭の中にある気がした。気がしただけか?気になって今日も香港本を手に取る。

正確には香港本ではなく、浅田次郎の対談集で「香港、この奥深き地よ」というタイトルで陳舜臣と香港について1997年の香港返還直後に二人が香港について話している。対談は浅田次郎の著作「蒼穹の昴」という中国を舞台にした話から始まる。いかに近代中国の歴史資料の扱いが難しいか、史実と違うことを平気で言う人がいる、歴史は勝者によって作られているという歴史の見方の話から徐々に「マカオと香料」や「アヘンと中国」というかぐわしい話になる。龍涎香というクジラの内蔵から分泌される香料といった中国通ならではの話題も。そんな中、浅田次郎がそもそも「ホンコン」というのは何語だったのかという質問に対して陳舜臣が水上生活者の「蛋民」の言葉だったと答えていた。蛋民は客家と似ており「後から来た人」であり、いいところに住めなかった。そんな客家出身者にはシンガポールのリー・クアンユー、台湾の李登輝、中国の鄧小平などがいると言っていた。極めて少数の水上生活者の「蛋民」の言葉、彼らが発した音が今に至る「香港」になっているということを知るとなんだか息詰る。

浅田次郎「歴史・小説・人生」2005年 河出書房 

2015/01/10

「おばちゃまは香港スパイ」ドロシー・ギルマン

前に、香港のセントラル近くのセブンイレブンに英雑誌の「The economist」が売っていたのを見た。またその近くで、バンカーかどうか分からないがスーツの上着のポケットにThe economistを半分に折って突っ込んでいる西洋人がトラムに乗ろうとしていた。なんか格好いいと感じた。尖沙咀に住んでいた頃、ビルの一階にある茶餐廳で、スーツ姿の日本人男性が出前一丁の麺を頬張りながら日経新聞を読んでいた。切実な雰囲気があった。香港では街中で新聞を見ている人を多く見かける。香港の飲茶には新聞を小脇に抱え、茶をお供に新聞を読む人達を見かける。だいたいがいい年の人達だ。また路上には至る所にマガジンスタンドがある。中国系の新聞、香港の英字新聞、また欧米の新聞が販売されている。また通勤時間には地下鉄の駅で無料の新聞が無数の人々の手に渡る。新聞が、郵便箱ではなく街中にある。香港と新聞。この組み合わせは頭の片隅にずっとある。情報を求める香港人。歴史を意識せざる得ない環境で生活する香港人。歴史と情報が切実な場所。歴史に飲み込まれるのか、歴史に対抗するのか。明日、どこに行動の重心をかけるのか。そんなことを日々考えているから香港人はフットワークが軽いのかと思ったりする。いつでも動くことが出来る心の状態。それはどんな生活から生まれるのか?フットワークの軽さはどこから来るのか?そんな思いから香港本に手を伸ばす。

「おばちゃまは香港スパイ」というタイトルの中にある「香港」という文字にもちろん惹かれて手に取った本。アメリカの女性推理作家、ドロシー・ギルマンの「ミセス・ポリファックス」というスパイ小説シリーズの一つで、舞台が香港だというもの。内容は割愛。言えるのは、主人公のミセス・ポリファックスは事件を解決することに夢中で全く香港の旨味を経験していない。ミセス・ポリファックスを香港を犯罪が起きる場所、雑多な場所、そして物語が進行する場所としか見ていない。ストーリーだから当たり前だけど。でもそんな事件解決に熱心なミセス・ポリファックスも香港を見ている。「ミセス・ポリファックスは車の窓から外を眺めた。仕事に出かける人々や、人通りの多い歩道を手押し車を引いて売り声を上げる行商人、そして年とった二人の男が、人の流れを無視して、通りに台を出してマージャンをしている」。香港の街中には自分の人生、自分のやり方を信じている人で溢れている。香港人のフットワークの軽さは、自分を信じている強度にある気がした。
ドロシー・ギルマン 柳沢由美子訳「おばちゃまは香港スパイ」1991年 集英社文庫