2015/05/10

「九龍城砦 Kowloon Walled City」宮本隆司

この前、友人にフットサルを誘われた。サッカーボールに最後に触れたのはいつか忘れていたが、友人の「サッカーやってたことある?」という問いに対しては「まあまあ少しだけ」という自信をのぞかせる返答をしておいた。フットボール開催当日、サッカーをかじっていたこともあったので「意外とやるじゃん!」という声を期待していたものの、そんな空想はコテンパに打ち砕けた。仲間(フットサル素人)を誘いそのチームで試合に臨んだ。試合を引っ張る意気込みだったが、試合が始まった途端に「もうだめじゃん」という空気が流れる。例えて言えばスラムダンクの山王戦の後半5分が経過した湘北。「まだ慌てるような時間じゃない」なんて遠い言葉で、フットサルなのにバスケ並に点数を奪われ、バッサバッサとゴールネットを揺らされる。サッカー経験の無い友人は、コートで大の字になり「もうだめですわー」。2006年、ドイツワールドカップでブラジル戦の試合終了後に大の字になった中田を奇しくも思い出す。あまりの弱さを肌で感じた主催者の意向により試合終了後「じゃチーム替えをしまーす」という声で実力の不均衡は解消された。チーム替えの後、だんだんフットサルに慣れてゴールも決めるようになり、短い時間の中でも成長を感じる取る事が出来た。疲れ果てた友人はチーム替えの後にFWに配置され絶好のゴールチャンスで2、3発豪快な「ナイスクリア」をかました。この時にはプレイヤー全員がドイツワールドカップのクロアチア戦を思い出さずにはいられなかった。

フットサルが終わりその足でラーメン屋に入った。ジャミロクアイやシャーデーが流れる店内で、ラーメン屋の店主はDJも兼ねてるんじゃと皆で気になったが、やはり気になるのは足の張りで、予想はしていたが、筋肉痛が1週間続いた。「うち、薬局やねん」というような友人もおらず錆び付いた体の回復を待ちつつ、色々フットサルについて考えた。サッカーと比べフットサルはボールを扱うスペースが狭く、ボール回しも早かった。またスペースが狭いから人との接触も多い。攻守の切り替えに早く対応しないといけない。一つの動きが得点、失点に繋がる。常に身体と判断をフル稼働させている感じだった。いかに狭い環境でパフォーマンスを発揮するか。フットサルのことを考えていたら、フットサルと香港が頭の中でシンクロした。

狭い空間と言えば、香港。そしてその狭い環境に数万人が住んでいた建物と言えば「九龍城砦」を思い出す。2.7ヘクタール(1ヘクタール=100m×100m)というスペースに約500棟の不法建築。その建造物を撮影した写真集が「九龍城砦 Kowloon Walled City」だ。いつどこでこの建物の存在を知ったのか今では忘れたが「九龍城砦」という奇怪な建物が香港という場所に存在していたことに興味を持っていた。九龍城砦はもう壊され今では公園になっているが、当時は、様々な悪名高いネーミングが付けられた建造物だった。建物の中では、賭博、売春、麻薬の売買など悪事が横行し、「魔窟」と呼ばれていたらしい。いわば「ワルモノ」の住処で巨大スラム街だと思っていたが、実際は幼稚園や老人ホーム、そしてお菓子の製造工場や歯医者など様々な人が狭い空間を利用し、共存していた。あらゆる街の要素が詰まった究極の都市空間だ。

「九龍城砦 Kowloon Walled City」の巻末に九龍城砦の歴史の詳細があるが、ここは行政から関与を受けない場所として移民が住み始めた。もともと九龍城砦は木造バラックや石造りの低層の家屋だったらしい。住む空間が足りなくなった移民が、自分の家を「足し」ていった。その結果、建物がコンクリート化、高層化し、最高16階建ての高層ビル群となる。また行政の手が届かない場所のため、税金や法的規制を逃れるために人や小さな工場などが集まった。また中国大陸の医師が香港では開業出来ないため九龍城砦で開業し、医療を求める庶民の香港人の需要に応えた。そして九龍城砦には、診療所の他には飲食店、学校、青少年センター、そして一方でストリップショーや売春など無数のサービスが存在していた。平凡な街が持つ機能を遥かに凌駕するであろうこのハイブリッドな建造物には4万人ほど住んでいた人がいたらしい。

写真集の「九龍城砦 Kowloon Walled City」にはあまり人が映っていない。建物の外観、そして建物内部の廊下、狭小の部屋、無機質な郵便箱、そして廊下の天井や無数の機能しているかどうか不明のコードやパイプ管。廊下の壁面の地面から天井まで覆い尽くす無数の診療所の看板、壁に手書きした案内の文字。限られた場所でしか生活出来ない人達の空間の記録だ。前に香港に行った際に、跡地となった公園を訪れたが、子供達が遊ぶ平坦な場所でそこに4万人が住んでいたということはなかなか想像出来なかった。九龍城砦は1993年から1994年の間の10ヶ月間で解体された。
宮本隆司「九龍城砦 Kowloon Walled City」1997年 平凡社





2015/04/18

「香港返還」小木哲朗

JRの渋谷駅ホームまでの階段を登っているときに「新宿駅で安全確認を行った影響で電車の到着が遅れています」というアナウンスが聞こえた。「またかよ」と思いつつも、通勤ラッシュの時間にはよくあることだ。横からタンタンタンと階段を3段飛ばしの勢いで駆け上るスーツ姿の男が一瞬で去っていった。「またかよ」と思いつつも、その走りに人生が乗っかっているかのような姿は駅のホームではよくあることだ。階段を登りきると、駅ホームには想像以上に人が溢れていた。この朝、渋谷駅には場所、人、電車と余裕がなかった。数分の電車の遅れで駅ホームはもうパッツンパッツン。次に来る電車に乗るのを諦め、次の次に来る電車を待とうと思い列に並んだ。数分遅れで電車がやってきた。人がごった返す中、乗客は降り、待ちに待っていた人がグイグイ乗り込む。電車はパンパンになり、膨張感がある。松村邦洋ぐらいのサイズ感か。列の後ろに並んでいた人達は電車の中の押し詰め状態の人々を見ながら、次にくる電車を待っていた。扉がなかなか閉まらない中、電車の扉に男性が突っ込んで来た。年齢は65才ぐらいだろうか。笹野高史似の男性が乗車率300%の電車に飛び込んだ。電車に乗っている人も待っている人も声には出さないが心で「嘘でしょ?」という気持ちだったに違いない。ガバガバなサイズのスーツを着たその男性は、電車に乗車したと言っても体の四分の三が電車の「外」に出ていた。皆の視線がその男性のプルプル震える体に突き刺さる。靴のかかと、そして指先が扉の上部に引っ掛かっているだけで、体はエビ反っている。扉が閉まるというアナウンスにも関わらず、男性の体は弧を描いた状態。結局、腰をしっかり落とした駅員が両腕をしっかり伸ばし男性を押しに押し込みようやく扉が閉まった。全速力でホームを走る人や捨て身覚悟で電車に滑り込む人というなんとも余裕の無い人達に遭遇した朝だった。

エビ反りの男性に次の電車を待つという選択肢はなかったのかなと思い、昔読んだ本を思い出した。それは「香港返還」という本で、この中に登場した人は、余裕のある人達だったなと記憶している。この本は、著者が大学時代の1981年から1982年の間に香港に留学し、その後、大学の同級生達を訪問し、彼らがどのような人生を送っているのかインタビューを行ったもの。香港返還に対してエリートの香港人がどのような決断をして、どのような行動を取ったのか垣間見ることが出来る本だった。読後に感じたのは彼らの余裕のある心構えだった。彼らは自分の決断に自信を持っていて、自分で人生を選択したということで生まれる自負のような、しっかりと自分の人生と付き合う余裕さがあるように感じた。覚悟、そして決断したからこそ生まれる余裕。彼らに共通しているのは、自分達の選択肢を見極め、決断していることだった。例えばオーストラリアに移住した香港人女性の「私がもし香港に残って、この二年間不動産会社を続ければ、もしかしたら数千万、いや数億のお金が儲けられるかもしれません。しかしどんなにお金を払っても、香港では買えないものがあります。それはいざというときの''保証''です。私はその保証がほしいのです。人生には、その時々でやるべきことが決まっているものです。適切なときに行動を起こさなければなりません。代価はどうであれ、今やらなければ、機会を逃してしまう」という言葉には、数ある選択肢から自分でその道をピックアップしたというスタンスが余裕を感じさせる。

広島カープの黒田投手にも余裕を感じた。メジャーに残る選択もあったが、カープを選ぶ。難しい選択なだけに、決断には深い想いが宿る。そしてその誰にも共有出来ない自分だけの想いが、余裕を生み出している気がする。自分の立ち位置を明確にし、より精神的にも身体的にも余裕を持って野球に臨めると思う。カープで野球をする事の方が一球の重みを感じれるんじゃないかなと自分自身で判断した」という黒田投手の言葉。一球の重みを感じるためにカープを選ぶクールさは誰も真似出来ない。
小木哲朗「香港返還」1997年 朝日文庫

選択肢があり、決断した人々

昔の香港人男性の目標

2015/03/31

「中国茶と茶館の旅」平野久美子 布目潮渢

このまえ渋谷の駅で表参道方面からやってくる電車を待っていた。要は田園都市線に乗るためで、時刻はあと数十分で日付けが変わるという夜遅い時間。そんな時刻にも関わらずホームには行列。数分間隔で電車が乗客をチャッチャッ運ぶにも関わらずホームには人が次々押し寄せワンサカしている。渋谷で電車を待っていると渋谷ならでのは人がいるから面白い。レザーのミニスカートにナイキのくるぶし丈のソックスと下駄を合わせてきたガール。ヘッドフォンはビーツ。「私分かってますから」という無言の表情。その後ろに、足元はグレーのnew balanceでパンツはスエット、手元にはカモ柄のエルベシャプリエのカバン。黒ぶち眼鏡のシニア女性は齢50ぐらいだろうか、顔は堂々のスッピン。「私お洒落なんで化粧不要です」みたいなスタンス。ニット帽のバランス感が気になるのかずっといじっている。さすが渋谷。いろんな人種がいる。そんな中、電車待ちでイライラしてるサラリーマンが行列の先頭にいた。スマホ画面とにらめっこ。わずかな待ち時間をスマホをイジって潰している。そんな数分程度でキリキリする?と思っていたら、待望の電車が到着。我先に乗車しようと扉間近でピタっと待つ男。扉が開き、乗客が湧き出た水のように降りていく。ようやく皆、降りたかと思ったら扉の近くで女性グループがダベっていてこちらの侵入をブロック。女性グループの数名はそのまま電車に残り、一人が渋谷駅で降りるようで、バイバイする女性がなかなか電車を降りずにいた。「コチトラ好きでツムツムしてんじゃねーぞ、さっさと降りるかい!」と電車に乗りたくてしょうがない男はスマホと降りない女に目配せしながら心の中で言ってるんじゃないか。首都圏のストレスが生まれる現場に遭遇した気がした。でも時間にして3、4秒。

世知辛い世の中。どうにかならないのかなと思っていたら、渋谷でミランダ・カーが出ている烏龍茶の広告を見た。ついに健康を売りにするアジアンな烏龍茶に外タレをぶち込んできたかと思った。個人的には、ファッションじゃなくてコアなインパクトが欲しかった。例えばDr.Dreあたりがラーメンを勢い良くススり、シメに烏龍茶を飲むなんて映像はなかなかイケると思う。旨いもんがっつくけど、締めるときは締めまっせみたいな男気を伝える画はまだない気がする。欧米でお茶の需要が伸びる中、グローバル商品として世界にかませるコマーシャルも見てみたい。トンカツ屋でしれっとカバンからペットボトルを取り出し飲む感じは消化不良だった。仮にDr.Dreだったら堂々とペットボトルを表に出してカブ飲みしてたと思う。しかも無駄に両腕を前方に出して。どうせ飲むなら真っ向から飲んで欲しい。そして気持ちよくお茶を飲む事が出来る場所って大事だなと思った。ストレスを洗い流す場所。そんな最適な場所を知るのに便利な本が「中国茶と茶館の旅」だ。これはホント。情報がかなり古いので要再確認ではあるが。

中国には茶を飲む歴史があり、そして同時に庶民が茶を楽しむ場所も築いていたことがこの本で分かる。日本にはいまやコンビニ並みにコーヒーチェーン、カフェが街に溢れているが、学生、サラリーマン・OLの作業場と化していると感じている人も多いんじゃないだろうか。まるでオフィスか自習室か図書館みたいで、「ここカフェ?」みたいな場所も多いし、和みからは程遠い。一方「中国茶と茶館の旅」で紹介されている茶を飲む場所、いわゆる「茶館」はとことんリラックス出来る場所。茶館は人が集い語り合う場所で、お茶を介して人々は安らぐ。そして自然を上手く取り入れているのがよく分かる。本には台湾、中国、香港の茶館が紹介されていて、その他に中国茶の基本的な歴史や淹れ方なども載っているのでぜひ参考にしてみたい。油に効くお茶もいいが、ストレスをきれいさっぱり洗い流すお茶、そしてストレスを粉々に砕く自然美に包まれた茶を飲む場所を訪れるのもいいかもしれない。
平野久美子 布目潮渢「中国茶と茶館の旅」1996年 新潮社
中国のデザインでは好きなもの。茶や薬のデザインはいい。
ノスタルジック風情な写真
台湾、香港、中国の茶館を紹介。それぞれ雰囲気が違って面白い
コップのデザインがいい。
労働者が休憩。椅子とテーブルがあればお茶。
お茶の味も視覚で変わるに違いない
中庭の喜び。自然と共に時間を過ごす一時
内と外の絶妙なバランスの空間。居心地が良さそう

自然と一体。全身で自然を感知。
お茶のあては自然。ぐいぐいイケるし、ちびちびイケる

2015/03/04

「粥」

香港のお粥はなぜ旨いのか?広東粥を作るおじさんのまるで早送りしてるかのような動きのキレ、そして自由自在におたまでお粥をコントロールする圧巻のコントロール力。無駄な動きが一切ない動きに雑味が入る込む隙間は無い。

2015/03/01

「香港市民生活見聞」島尾伸三

2003年、初めて香港に行って香港を知った。その頃、九龍城砦や啓徳空港といった香港を象徴する場所は無かった。と言うことは当時気にしていなかったが、2003年、香港ではSARSが流行しており、その影響で多くの旅行客が香港のツアーを取り止めたり、訪問するのを敬遠していたのを覚えてる。当時の自分はそんなことは気にしていなかった。気にしても仕方ないと思っていたし、海外に行く機会もそんなに無いと思っていた。そして香港を知って、ハイブランドの商品どこで買うべきか知った。(未だに香港に行ってもプライスタグを指先でめくり溜息の連続)香港は自分の想像を超える場所で、香港には旨いお粥が存在している事を知った。そして英語が出来ないと馬鹿にされる事も心に刻まれた。(日本の接客のクオリティーに初めて気付いた瞬間でもあった)2003年以降に何度も香港に滞在し、香港の唯一無味な空気を楽しんだ。そして先日、違う意味で2003年に香港に行けて良かったと思った。それはSARSの影響が昔ながらの香港の街並みを変えたということを先日、ある対談で知ってからだった。
 
写真家のエリックさんと「転がる香港に苔は生えない」の著者の星野博美さんの対談で香港の街が移民の影響で変化していると知った。そのきっかけはSARSだったらしい。2003年にSARSで経済的な打撃を受けた香港は中国大陸のお金を目当てに投資移民制度を開始した。甘い制度だ。香港に大陸から人が押し寄せた。投資移民は不動産に投資し、不動産価格は上昇。昔から茶餐廳を営んでいたお店は家賃の高騰で商売が続けられなくなった。またどの街にも似たような店が並んでいるらしい。「化粧品」「宝飾品」「安全な食」という大陸から来る人が望むものを売る店ばかりになり、昔ながらの香港人の生活、遊びのための店が消え、香港人の居場所が無くなっていると知った。12年前に流行したSARSが、香港の街並を変化させた一つの要因だと知るとそのスピードに驚く。自分が香港に初めて訪れた2003年から始まった移民制度が香港の景色や香港人の生活を変えている。

手元には約30年前に出版された香港本がある。その中にも当時の消えつつある香港が紹介されている。いつの時代も香港は変化しているとことを感じながらも、この本からは、なにより「香港人」らしさを意識せざる得なかった。「香港市民生活見聞」という漢字が8文字連なったタイトルの文庫本。香港人が生きるうえでの身構えみたいなものが感じられる本で著者は写真家の島尾伸三。まず表紙がいい。貴人紙というお祝いのときに使用する香港の伝統的な紙のデザインを活かしたカバーが使用されている。めでたさが力強く伝わってくる。ちなみに香港本の表紙でピンと来たのはこの本と星野博美さんの「転がる香港に苔は生えない」。表紙の写真も、カバーを取って見える真っ赤な装幀も想像を超えていた。2人とも写真をやっているのが共通点だ。

「転がる香港に苔は生えない」が香港人に寄り添って彼らの生活をズーム撮影したような本ならば、「香港市民生活見聞」は香港人の生活をスナップショットのように撮影し、人々の生活を淡々とスケッチしている感じがする。巷の香港本が、外部から眺めた興味本位的な視点で香港について書かれていることが多い気がするが、この2冊は時として香港人と同じ立ち位置で物事を見ている気がする。それが新鮮な感じがする。何を書くかその立ち位置をきちんと確認し、自分のレンズで覗いてるのが伝わる。しかもそのレンズは既製品じゃない。そして狙いを定めた焦点は独自のもの。対象との独特の距離感。特に星野レンズは「人と人との距離感」に焦点を定めた時のキレ味とフレーミングは絶妙。今現在、カメラそのものは置いてるかもしれないが、レンズは日々の思考と観察で磨かれている気が、、、。話がそれたので、そろそろ島尾レンズの話に。

「香港市民生活見聞」はジャングルから始まる。著者は、ボルネオ島の熱帯雨林ジャングルに流れる川を小舟で流れに逆らい首狩りの習慣が残っていたという陸ダヤク族の村へ向かう。そしてボルネオで著者は、現地で中国文化に関心を引き寄せられる。ボルネオにあるお店でみた商品のほとんどが中国製、あるいは香港製であることに気付く。また現地で中国人の世話を受け、「華僑」に興味を持った著者は香港へ向かう。

そして香港に降り立った著者は香港の街を闊歩し、彷徨い、時に見知らぬ市場の商人に罵倒される。見たこと、香港の友人から聞いたこと、興味をもって調べたことを淡々と記す。時々、妙な話題、例えば「白粉(アヘン)製造」の話が突然出て来て、やけに詳しく書かれていたりする。話が脱線しているように感じられるが、興味が赴くままに書いているのが伝わって清々しい。なにより、その唐突さが香港らしい。何に出くわすか分からない楽しさがある。そして読み進むうちにだんだん香港人の「生活の規律」のような、香港人の人生に対する態度のようなものが身にしみてくる。

例えば、風水、祖先を大事にすること、占いへの傾倒。これらは今生きているということを意識させるような慣習だと思えてくる。 風水に神経を尖らすということは、自分が生活している場所を正確に認識すること。今の自分の立ち位置は間違ってないか?その問いが生活を律する。祖先を思う事は、自然と今生きている自分を意識せざる得ない。そして占い。将来を決める運命は今の行いに懸かっている。自分を越えた存在に対して意識的に、しかも日々の生活の中で、接する、考える、思うことで「今」をより強く感じるような感覚が育まれる気がした。自分がコントロール出来ない対象に対して、過剰なほど気持ちを注ぎ、自然の力や運さえも自分の味方につける。そして信頼出来る友人や知り合いに想いを注ぐ。日本人は、「物」に対して良い意味でも悪い意味でも異常に情熱を注いでいる気がするが、一方香港人は、見えない物や人との関係に想いを込めている気がした。何を意識的に見てるかで、今が変わる。ふと香港には眼鏡を掛けている人の多さを思い出した。見えないものを意識的に見ようとすることで眼が悪くなっているのではないか?ここにも眼に見えない力が働いてると思わざる得ない。

また香港人は自分の骨にも想いを巡らしていることをこの本で知った。
「自分の一生を知りたければ、自分の骨の重さを計ればよいのだそうです。人は生まれながらにして成人した時の骨の重さが決まっていて、この重さがその人の富貴貧銭を決めているというのです。〜勇気の必要な仕事(悪い仕事、大きい商売)をする人は、自分の一生がわかっていれば、思い切った勝負が打てるといって、骨の重さを計ります。」 香港人は日々、牛乳を沢山飲んでいるかもしれない。牛乳瓶の底から眺めて「見えない世界」をよりリアルに感じる為に。

島尾伸三「香港市民生活見聞」1984年 新潮文庫 AD高田宣子
黄色と赤色が香港らしい雰囲気
香港と熱帯はよく似合う
香港のバスの地図
デザインがいい
オールドな雰囲気が漂う写真
ジョニー・トー監督の「エレクション」の冒頭を思い出す写真

大胆な構成&デザイン。そこも含めて香港らしい。
組み合わせが全て
図鑑のような紹介
繁体字の持つ雰囲気。

2015/02/07

「現代の香港を知るKEYWORD 888」

ある時、煙の匂いに気付いて目を覚ました。いつも起きる早朝の時間だっただろうか。慌ててビルの外に出た。とっくの昔に外に出ていたであろうビルの住民が笑いながら「お前は今さら外に出たのか」と言ってきた。馬鹿にしてる感じではなく、もっと自分の周りに注意を払ったほうが良いぞという忠告のようなニュアンスで言っていたような気がする。既に煙の原因も判明したようで階段で家に戻るビルの住民とすれ違う。もう安全だから自分も家に戻ればいいが、自分だけ一歩も二歩も遅かった行動に愕然とする。ボヤ騒ぎが起きたのは当時住んでた香港だった。香港人だから動きが速かったのかよく分からない。
 香港には瞬間的な行動の速さが商売の生死を分ける人達が多くいる気がする。路上の商売人、ホテルの呼び込みなどそれぞれ個人の瞬間的な行動に成否がかかっている。ワンチャンスを絶対にものにしてやるという気概を持った人がいる。それが街の雰囲気にも影響を与えないはずがない。香港の喧噪には彼らの刹那的な行動が混じっている、と思い香港本を手に取る。

「現代の香港を知るKEYWORD 888」は香港全般を浅く広く知るのに便利な本だ。香港の歴史的な側面から芸能界まで香港の世界をざーっと見渡すのに使える。ただ2007年の発行なので、情報は古くなっている部分があるのは仕方がない。また巻末に項目索引があり、言葉だけを追いながら自分に引っ掛かったキーワードを調べても良いし、ジャンルに分けて本は構成されているので、それに沿っても読める。そしてこの本の特徴は客観的記述より香港への想いが前のめりになっているところ。香港好きの執筆者がそれぞれ担当した「キーワード」に想いを込めて記述しているのが伝わってくる。香港好きな執筆陣の「香港愛」を感じつつ、じわりと自分の香港への想いを再認識出来る本でもある。キーワードには例えば「大声」「ペア売り新聞」「ギフトチェック」という言葉がある。もしこれを読んで共感出来たら香港への愛があるということかもしれない。

【大声】
仕事で講演が多いという人曰く、普段喋る声と「届かせよう」と意識する声とは全然通り方が違うという。ならば香港人は常に何かを意識しているのだろうか。気のせいではない、彼らは声が大きい。絶対大きい。それがなぜかは不明。自己主張が強くて人に聞かせたい気持ちが強いのか、「口を大きく開ける」「巻き舌音がない」「軽声(前にある音に軽く添えるような音節)がない」という広東語自体の特徴からか。「人口が多くて街がうるさいから」という説もあるが正解はわからない。ただ、街で聞く彼らの大音声は決して怒鳴っているのではなく、骨に響かせているというのか、やたらいい声なのだ。だから雑居ビルのエレベーターで香港人男性2人と乗り合わせ、大声の会話を延々聞いても狭い箱の中で頭が割れそうになっても我慢していられる。このような方々相手だと話しかけるこちらもつい大きな声になっていくのだが、香港人に言わせると「そうそう、広東語はちょっと大きな声で話した方が上手に聞こえるよ」だそうだ。

 【ペア売り新聞】
夕方が近づくと、香港の街頭新聞雑誌スタンドでは、売れ残った新聞を2、3紙抱き合わせにして売りはじめる。これを「拍拖報紙」はセットで2紙の合計額より安く売られる。それも、まだ早い時間であれば値引額も少なく、深夜に近づくにつれ値段は下がっていく。なお、ペアにする組み合わせは全く気まぐれで、右派系新聞と左派系新聞が仲良くデートしてくれることもある。頼めば組み合わせは変えてくれる。香港人はよく複数の新聞を読むことで多角的に情報を収集しようとするが、この「拍拖報紙」はその意味でお得で便利だ。もっとも、夕方になって朝刊を買っているようでは、香港人の情報収集スピードには完全に乗り遅れてしまっているが。

【ギフトチェック】
香港人が結婚するとき、お祝いに何をあげるか。好みや習慣上のタブーもよくわからないし、お祝いの品物を持って日本から向かうのも大変だ。悩んだらギフトチェックが便利。ギフトチェックは銀行の窓口で発行するお祝い用の小切手だ。どこの銀行でもすぐに作ってくれる。発行手数料がHK$10ほどかかるが、その銀行に自分の口座をもっていれば手数料は無料。小切手を入れるお祝い用の赤い封筒を銀行でくれるので、それに入れて渡せばよい。額面は自分で決められるので、「888(發)」ドル等、縁起のよい数字にすれば見た目もおめでたく、相手に喜んでもらえる。あとはもらった人が銀行に持って行って現金に換えてもらうという仕組みだ。

小柳淳・田村早苗「現代の香港を知る KEYWORD 888」2007年 三修社

2015/01/25

「香港大脱出」ジョン・トレンヘイル

食、買物、美容。この3つで香港のガイド本は成り立つ。きっと食だけでも成り立つ。香港は食に恵まれた旅行地で、日本から比較的近く、そして洗練された癒しのスポットもある。国際都市として磨かれた都市機能と市場や路上で感じるローカルの活気が人を惹き付ける。今日も多くの旅行者が日本を出国する。少しばかり、日本から離れて異次元の場所で体と心を充実させる。ちょっとした脱出先には理想的な場所に違いない。旅行者だけじゃない。香港は金持ちも貧乏人も呼び寄せる。移住を考えている金持ちや理由無く長期滞在したいバックパッカーも香港へ旅立つ。香港は人を受け入れる。そして香港にハマる人がいる。何度行っても慣れる事はあっても、飽きる事はないが、そして心がその場所にフィットするような感覚が生まれてくる。と思いながら香港本を手に取る。

今回の香港本は、香港の中国返還を目前にして経済、軍事、政治などが絡む小説。香港の経済界の団体が、香港が中国に返還される前に極秘に香港から脱出することを画策する。一方、中国は脱出を阻止する。この小説は、「中国への返還によるシステムの変化」という要素がストーリーを前に押し進めている。そして香港は人を動かす街だと改めて感じた。

ジョン・トレンヘイル「香港大脱出」1992年 扶桑社 カバーのテイストがある意味香港っぽい

2015/01/18

「歴史・小説・人生」浅田次郎

以前に会った香港人が、「香港が中国に返還されたら、どうなるか分からないからという理由で私は両親に言われて返還前にカナダに行かされた」というようなことを聞いて、まだどうなるか分からない先のことを見据えて子供を異国の地へ移動させると言っていいのか、移民とも違う気がするが、その決断に香港を感じた。地球規模で転々とする。香港が大丈夫であれば戻ってくるし、そうでなければ娘を頼ってカナダに行く。香港人の行動には好機と危機感という意識が常に頭の中にある気がした。気がしただけか?気になって今日も香港本を手に取る。

正確には香港本ではなく、浅田次郎の対談集で「香港、この奥深き地よ」というタイトルで陳舜臣と香港について1997年の香港返還直後に二人が香港について話している。対談は浅田次郎の著作「蒼穹の昴」という中国を舞台にした話から始まる。いかに近代中国の歴史資料の扱いが難しいか、史実と違うことを平気で言う人がいる、歴史は勝者によって作られているという歴史の見方の話から徐々に「マカオと香料」や「アヘンと中国」というかぐわしい話になる。龍涎香というクジラの内蔵から分泌される香料といった中国通ならではの話題も。そんな中、浅田次郎がそもそも「ホンコン」というのは何語だったのかという質問に対して陳舜臣が水上生活者の「蛋民」の言葉だったと答えていた。蛋民は客家と似ており「後から来た人」であり、いいところに住めなかった。そんな客家出身者にはシンガポールのリー・クアンユー、台湾の李登輝、中国の鄧小平などがいると言っていた。極めて少数の水上生活者の「蛋民」の言葉、彼らが発した音が今に至る「香港」になっているということを知るとなんだか息詰る。

浅田次郎「歴史・小説・人生」2005年 河出書房 

2015/01/10

「おばちゃまは香港スパイ」ドロシー・ギルマン

前に、香港のセントラル近くのセブンイレブンに英雑誌の「The economist」が売っていたのを見た。またその近くで、バンカーかどうか分からないがスーツの上着のポケットにThe economistを半分に折って突っ込んでいる西洋人がトラムに乗ろうとしていた。なんか格好いいと感じた。尖沙咀に住んでいた頃、ビルの一階にある茶餐廳で、スーツ姿の日本人男性が出前一丁の麺を頬張りながら日経新聞を読んでいた。切実な雰囲気があった。香港では街中で新聞を見ている人を多く見かける。香港の飲茶には新聞を小脇に抱え、茶をお供に新聞を読む人達を見かける。だいたいがいい年の人達だ。また路上には至る所にマガジンスタンドがある。中国系の新聞、香港の英字新聞、また欧米の新聞が販売されている。また通勤時間には地下鉄の駅で無料の新聞が無数の人々の手に渡る。新聞が、郵便箱ではなく街中にある。香港と新聞。この組み合わせは頭の片隅にずっとある。情報を求める香港人。歴史を意識せざる得ない環境で生活する香港人。歴史と情報が切実な場所。歴史に飲み込まれるのか、歴史に対抗するのか。明日、どこに行動の重心をかけるのか。そんなことを日々考えているから香港人はフットワークが軽いのかと思ったりする。いつでも動くことが出来る心の状態。それはどんな生活から生まれるのか?フットワークの軽さはどこから来るのか?そんな思いから香港本に手を伸ばす。

「おばちゃまは香港スパイ」というタイトルの中にある「香港」という文字にもちろん惹かれて手に取った本。アメリカの女性推理作家、ドロシー・ギルマンの「ミセス・ポリファックス」というスパイ小説シリーズの一つで、舞台が香港だというもの。内容は割愛。言えるのは、主人公のミセス・ポリファックスは事件を解決することに夢中で全く香港の旨味を経験していない。ミセス・ポリファックスを香港を犯罪が起きる場所、雑多な場所、そして物語が進行する場所としか見ていない。ストーリーだから当たり前だけど。でもそんな事件解決に熱心なミセス・ポリファックスも香港を見ている。「ミセス・ポリファックスは車の窓から外を眺めた。仕事に出かける人々や、人通りの多い歩道を手押し車を引いて売り声を上げる行商人、そして年とった二人の男が、人の流れを無視して、通りに台を出してマージャンをしている」。香港の街中には自分の人生、自分のやり方を信じている人で溢れている。香港人のフットワークの軽さは、自分を信じている強度にある気がした。
ドロシー・ギルマン 柳沢由美子訳「おばちゃまは香港スパイ」1991年 集英社文庫