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2015/02/07

「現代の香港を知るKEYWORD 888」

ある時、煙の匂いに気付いて目を覚ました。いつも起きる早朝の時間だっただろうか。慌ててビルの外に出た。とっくの昔に外に出ていたであろうビルの住民が笑いながら「お前は今さら外に出たのか」と言ってきた。馬鹿にしてる感じではなく、もっと自分の周りに注意を払ったほうが良いぞという忠告のようなニュアンスで言っていたような気がする。既に煙の原因も判明したようで階段で家に戻るビルの住民とすれ違う。もう安全だから自分も家に戻ればいいが、自分だけ一歩も二歩も遅かった行動に愕然とする。ボヤ騒ぎが起きたのは当時住んでた香港だった。香港人だから動きが速かったのかよく分からない。
 香港には瞬間的な行動の速さが商売の生死を分ける人達が多くいる気がする。路上の商売人、ホテルの呼び込みなどそれぞれ個人の瞬間的な行動に成否がかかっている。ワンチャンスを絶対にものにしてやるという気概を持った人がいる。それが街の雰囲気にも影響を与えないはずがない。香港の喧噪には彼らの刹那的な行動が混じっている、と思い香港本を手に取る。

「現代の香港を知るKEYWORD 888」は香港全般を浅く広く知るのに便利な本だ。香港の歴史的な側面から芸能界まで香港の世界をざーっと見渡すのに使える。ただ2007年の発行なので、情報は古くなっている部分があるのは仕方がない。また巻末に項目索引があり、言葉だけを追いながら自分に引っ掛かったキーワードを調べても良いし、ジャンルに分けて本は構成されているので、それに沿っても読める。そしてこの本の特徴は客観的記述より香港への想いが前のめりになっているところ。香港好きの執筆者がそれぞれ担当した「キーワード」に想いを込めて記述しているのが伝わってくる。香港好きな執筆陣の「香港愛」を感じつつ、じわりと自分の香港への想いを再認識出来る本でもある。キーワードには例えば「大声」「ペア売り新聞」「ギフトチェック」という言葉がある。もしこれを読んで共感出来たら香港への愛があるということかもしれない。

【大声】
仕事で講演が多いという人曰く、普段喋る声と「届かせよう」と意識する声とは全然通り方が違うという。ならば香港人は常に何かを意識しているのだろうか。気のせいではない、彼らは声が大きい。絶対大きい。それがなぜかは不明。自己主張が強くて人に聞かせたい気持ちが強いのか、「口を大きく開ける」「巻き舌音がない」「軽声(前にある音に軽く添えるような音節)がない」という広東語自体の特徴からか。「人口が多くて街がうるさいから」という説もあるが正解はわからない。ただ、街で聞く彼らの大音声は決して怒鳴っているのではなく、骨に響かせているというのか、やたらいい声なのだ。だから雑居ビルのエレベーターで香港人男性2人と乗り合わせ、大声の会話を延々聞いても狭い箱の中で頭が割れそうになっても我慢していられる。このような方々相手だと話しかけるこちらもつい大きな声になっていくのだが、香港人に言わせると「そうそう、広東語はちょっと大きな声で話した方が上手に聞こえるよ」だそうだ。

 【ペア売り新聞】
夕方が近づくと、香港の街頭新聞雑誌スタンドでは、売れ残った新聞を2、3紙抱き合わせにして売りはじめる。これを「拍拖報紙」はセットで2紙の合計額より安く売られる。それも、まだ早い時間であれば値引額も少なく、深夜に近づくにつれ値段は下がっていく。なお、ペアにする組み合わせは全く気まぐれで、右派系新聞と左派系新聞が仲良くデートしてくれることもある。頼めば組み合わせは変えてくれる。香港人はよく複数の新聞を読むことで多角的に情報を収集しようとするが、この「拍拖報紙」はその意味でお得で便利だ。もっとも、夕方になって朝刊を買っているようでは、香港人の情報収集スピードには完全に乗り遅れてしまっているが。

【ギフトチェック】
香港人が結婚するとき、お祝いに何をあげるか。好みや習慣上のタブーもよくわからないし、お祝いの品物を持って日本から向かうのも大変だ。悩んだらギフトチェックが便利。ギフトチェックは銀行の窓口で発行するお祝い用の小切手だ。どこの銀行でもすぐに作ってくれる。発行手数料がHK$10ほどかかるが、その銀行に自分の口座をもっていれば手数料は無料。小切手を入れるお祝い用の赤い封筒を銀行でくれるので、それに入れて渡せばよい。額面は自分で決められるので、「888(發)」ドル等、縁起のよい数字にすれば見た目もおめでたく、相手に喜んでもらえる。あとはもらった人が銀行に持って行って現金に換えてもらうという仕組みだ。

小柳淳・田村早苗「現代の香港を知る KEYWORD 888」2007年 三修社

2015/01/25

「香港大脱出」ジョン・トレンヘイル

食、買物、美容。この3つで香港のガイド本は成り立つ。きっと食だけでも成り立つ。香港は食に恵まれた旅行地で、日本から比較的近く、そして洗練された癒しのスポットもある。国際都市として磨かれた都市機能と市場や路上で感じるローカルの活気が人を惹き付ける。今日も多くの旅行者が日本を出国する。少しばかり、日本から離れて異次元の場所で体と心を充実させる。ちょっとした脱出先には理想的な場所に違いない。旅行者だけじゃない。香港は金持ちも貧乏人も呼び寄せる。移住を考えている金持ちや理由無く長期滞在したいバックパッカーも香港へ旅立つ。香港は人を受け入れる。そして香港にハマる人がいる。何度行っても慣れる事はあっても、飽きる事はないが、そして心がその場所にフィットするような感覚が生まれてくる。と思いながら香港本を手に取る。

今回の香港本は、香港の中国返還を目前にして経済、軍事、政治などが絡む小説。香港の経済界の団体が、香港が中国に返還される前に極秘に香港から脱出することを画策する。一方、中国は脱出を阻止する。この小説は、「中国への返還によるシステムの変化」という要素がストーリーを前に押し進めている。そして香港は人を動かす街だと改めて感じた。

ジョン・トレンヘイル「香港大脱出」1992年 扶桑社 カバーのテイストがある意味香港っぽい

2015/01/18

「歴史・小説・人生」浅田次郎

以前に会った香港人が、「香港が中国に返還されたら、どうなるか分からないからという理由で私は両親に言われて返還前にカナダに行かされた」というようなことを聞いて、まだどうなるか分からない先のことを見据えて子供を異国の地へ移動させると言っていいのか、移民とも違う気がするが、その決断に香港を感じた。地球規模で転々とする。香港が大丈夫であれば戻ってくるし、そうでなければ娘を頼ってカナダに行く。香港人の行動には好機と危機感という意識が常に頭の中にある気がした。気がしただけか?気になって今日も香港本を手に取る。

正確には香港本ではなく、浅田次郎の対談集で「香港、この奥深き地よ」というタイトルで陳舜臣と香港について1997年の香港返還直後に二人が香港について話している。対談は浅田次郎の著作「蒼穹の昴」という中国を舞台にした話から始まる。いかに近代中国の歴史資料の扱いが難しいか、史実と違うことを平気で言う人がいる、歴史は勝者によって作られているという歴史の見方の話から徐々に「マカオと香料」や「アヘンと中国」というかぐわしい話になる。龍涎香というクジラの内蔵から分泌される香料といった中国通ならではの話題も。そんな中、浅田次郎がそもそも「ホンコン」というのは何語だったのかという質問に対して陳舜臣が水上生活者の「蛋民」の言葉だったと答えていた。蛋民は客家と似ており「後から来た人」であり、いいところに住めなかった。そんな客家出身者にはシンガポールのリー・クアンユー、台湾の李登輝、中国の鄧小平などがいると言っていた。極めて少数の水上生活者の「蛋民」の言葉、彼らが発した音が今に至る「香港」になっているということを知るとなんだか息詰る。

浅田次郎「歴史・小説・人生」2005年 河出書房 

2015/01/10

「おばちゃまは香港スパイ」ドロシー・ギルマン

前に、香港のセントラル近くのセブンイレブンに英雑誌の「The economist」が売っていたのを見た。またその近くで、バンカーかどうか分からないがスーツの上着のポケットにThe economistを半分に折って突っ込んでいる西洋人がトラムに乗ろうとしていた。なんか格好いいと感じた。尖沙咀に住んでいた頃、ビルの一階にある茶餐廳で、スーツ姿の日本人男性が出前一丁の麺を頬張りながら日経新聞を読んでいた。切実な雰囲気があった。香港では街中で新聞を見ている人を多く見かける。香港の飲茶には新聞を小脇に抱え、茶をお供に新聞を読む人達を見かける。だいたいがいい年の人達だ。また路上には至る所にマガジンスタンドがある。中国系の新聞、香港の英字新聞、また欧米の新聞が販売されている。また通勤時間には地下鉄の駅で無料の新聞が無数の人々の手に渡る。新聞が、郵便箱ではなく街中にある。香港と新聞。この組み合わせは頭の片隅にずっとある。情報を求める香港人。歴史を意識せざる得ない環境で生活する香港人。歴史と情報が切実な場所。歴史に飲み込まれるのか、歴史に対抗するのか。明日、どこに行動の重心をかけるのか。そんなことを日々考えているから香港人はフットワークが軽いのかと思ったりする。いつでも動くことが出来る心の状態。それはどんな生活から生まれるのか?フットワークの軽さはどこから来るのか?そんな思いから香港本に手を伸ばす。

「おばちゃまは香港スパイ」というタイトルの中にある「香港」という文字にもちろん惹かれて手に取った本。アメリカの女性推理作家、ドロシー・ギルマンの「ミセス・ポリファックス」というスパイ小説シリーズの一つで、舞台が香港だというもの。内容は割愛。言えるのは、主人公のミセス・ポリファックスは事件を解決することに夢中で全く香港の旨味を経験していない。ミセス・ポリファックスを香港を犯罪が起きる場所、雑多な場所、そして物語が進行する場所としか見ていない。ストーリーだから当たり前だけど。でもそんな事件解決に熱心なミセス・ポリファックスも香港を見ている。「ミセス・ポリファックスは車の窓から外を眺めた。仕事に出かける人々や、人通りの多い歩道を手押し車を引いて売り声を上げる行商人、そして年とった二人の男が、人の流れを無視して、通りに台を出してマージャンをしている」。香港の街中には自分の人生、自分のやり方を信じている人で溢れている。香港人のフットワークの軽さは、自分を信じている強度にある気がした。
ドロシー・ギルマン 柳沢由美子訳「おばちゃまは香港スパイ」1991年 集英社文庫

2014/12/16

「香港頭上観察」赤瀬川原平

夏に香港の街を歩いていると頭上から水が落ちてくる事がある。水といっても、髪がずぶ濡れになるような量の水ではなく、何か頭上から落ちてきたなと気付く程度の水滴が落ちてくる。ビルの外に設置されたエアコンの室外機から落ちてくる水滴だ。香港では頭上から落下する水滴に気を付けないといけない。また頭上を眺めていると、どすんと人とぶつかるなんてこともある。「通路の真ん中で突っ立ってんじゃねえ」と顔に嫌悪感が溢れた通行人が立ち去る。ときには、路上で前方から歩いて来る人とぶつかりそうになり、その人をかわそうとすると、相手もかわそうとする。そして二人共、右にいったり、左にいったり、お互いがお互いの進行方向を邪魔してしまう。香港では人の動きに気を付けないといけない。また横断歩道を渡ろうとすると車がわずかな隙間を狙って進行しようとする。あの攻め攻めな態度に香港を感じられずにはいられない。入る込むスキさえ見つければ、あとは全力で突っ込むのみというあの瞬間的な判断力。香港では車の動きに気をつけないといけない。香港で気をつける場所。それは頭上、路上、そして横断歩道。つまりは香港人の行動。香港は観察するものに溢れている。観察するものは香港人の行動。そんな香港人の心意気を紹介している香港本が「香港頭上観察」だ。

赤瀬川原平の「香港頭上観察」は彼が香港の街を歩き、心に引っ掛かった対象を撮影し、そこに一言二言の文章を添えた本。写真がメインの香港観察本。ふと、香港の友人に「本」という字には、オリジナルという意味があるということを教えてもらったこと思い出す。香港本のほとんどが、旅行や食やショッピングに関するものだからそういう意味でもこの本は稀な部類でもある。この本は香港が中国に返還された1997年に出版されている。返還から17年が過ぎた。

本の構成は写真に、赤瀬川原平の香港観察が加味された数行の文章。そこから著者の香港観察の視点が伝わってくる。本の中に登場する写真は香港の街を普通に歩いていれば目にするものばかりだ。珍しい物や綺麗なものはない。本の中には香港のいつも通りの姿がある。が、赤瀬川原平が香港で感じた「垂直性」と「自制心の無さ」というものに興味がひかれる。垂直性というのは、本の中でも書かれているけど、「自分の地所を目いっぱい使うために、可能な限り背伸びしている」という上へ上へ伸びようとする気概。そして自制心の無さというのは「やれることは何でもやるという勢いで、それが建物のプロポーションににじみ出ている」ということ。赤瀬川原平は対象を観察し、香港人の行動規範を想像する。

香港の街を歩いていると香港人の態度が建物出ていて爽快感を得る事がある。そして香港はコンクリートに囲まれているにも関わらず、冷たい感じがしない。それは香港人が自分達が住んでいる街を自分好みにカスタマイズしたかのように、DIYの精神を感じるからだと思う。自分達が好きなように生きるんだ!という気概が建物、そして街から感じるのは清々しい。 そして建物が人間らしく感じてしまう。街の手作り感が香港にはあって、それが羨ましい。

香港に何度も訪れた人からすれば、見慣れた風景が本の中にある。これから初めて香港に行こうと思う人にとって、この本の中にはグルメの情報があるわけじゃないし、役に立つような情報は無い。本の中の写真は香港人の精神から出現したようなビルや増改築を繰り返した建造物、使い古された荷車、食堂のテーブル、工事現場などだ。この本には香港人の生きる姿勢が少しだけ写真を通して感じる事が出来る楽しみがある。
赤瀬川原平「香港路上観察」1997年 小学館

香港という字のタイポグラフィがはしゃいでいる

ビルのベランドを増改築。空をリノベーション。