2015/01/18

「歴史・小説・人生」浅田次郎

以前に会った香港人が、「香港が中国に返還されたら、どうなるか分からないからという理由で私は両親に言われて返還前にカナダに行かされた」というようなことを聞いて、まだどうなるか分からない先のことを見据えて子供を異国の地へ移動させると言っていいのか、移民とも違う気がするが、その決断に香港を感じた。地球規模で転々とする。香港が大丈夫であれば戻ってくるし、そうでなければ娘を頼ってカナダに行く。香港人の行動には好機と危機感という意識が常に頭の中にある気がした。気がしただけか?気になって今日も香港本を手に取る。

正確には香港本ではなく、浅田次郎の対談集で「香港、この奥深き地よ」というタイトルで陳舜臣と香港について1997年の香港返還直後に二人が香港について話している。対談は浅田次郎の著作「蒼穹の昴」という中国を舞台にした話から始まる。いかに近代中国の歴史資料の扱いが難しいか、史実と違うことを平気で言う人がいる、歴史は勝者によって作られているという歴史の見方の話から徐々に「マカオと香料」や「アヘンと中国」というかぐわしい話になる。龍涎香というクジラの内蔵から分泌される香料といった中国通ならではの話題も。そんな中、浅田次郎がそもそも「ホンコン」というのは何語だったのかという質問に対して陳舜臣が水上生活者の「蛋民」の言葉だったと答えていた。蛋民は客家と似ており「後から来た人」であり、いいところに住めなかった。そんな客家出身者にはシンガポールのリー・クアンユー、台湾の李登輝、中国の鄧小平などがいると言っていた。極めて少数の水上生活者の「蛋民」の言葉、彼らが発した音が今に至る「香港」になっているということを知るとなんだか息詰る。

浅田次郎「歴史・小説・人生」2005年 河出書房 

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