夏に香港の街を歩いていると頭上から水が落ちてくる事がある。水といっても、髪がずぶ濡れになるような量の水ではなく、何か頭上から落ちてきたなと気付く程度の水滴が落ちてくる。ビルの外に設置されたエアコンの室外機から落ちてくる水滴だ。香港では頭上から落下する水滴に気を付けないといけない。また頭上を眺めていると、どすんと人とぶつかるなんてこともある。「通路の真ん中で突っ立ってんじゃねえ」と顔に嫌悪感が溢れた通行人が立ち去る。ときには、路上で前方から歩いて来る人とぶつかりそうになり、その人をかわそうとすると、相手もかわそうとする。そして二人共、右にいったり、左にいったり、お互いがお互いの進行方向を邪魔してしまう。香港では人の動きに気を付けないといけない。また横断歩道を渡ろうとすると車がわずかな隙間を狙って進行しようとする。あの攻め攻めな態度に香港を感じられずにはいられない。入る込むスキさえ見つければ、あとは全力で突っ込むのみというあの瞬間的な判断力。香港では車の動きに気をつけないといけない。香港で気をつける場所。それは頭上、路上、そして横断歩道。つまりは香港人の行動。香港は観察するものに溢れている。観察するものは香港人の行動。そんな香港人の心意気を紹介している香港本が「香港頭上観察」だ。
赤瀬川原平の「香港頭上観察」は彼が香港の街を歩き、心に引っ掛かった対象を撮影し、そこに一言二言の文章を添えた本。写真がメインの香港観察本。ふと、香港の友人に「本」という字には、オリジナルという意味があるということを教えてもらったこと思い出す。香港本のほとんどが、旅行や食やショッピングに関するものだからそういう意味でもこの本は稀な部類でもある。この本は香港が中国に返還された1997年に出版されている。返還から17年が過ぎた。
本の構成は写真に、赤瀬川原平の香港観察が加味された数行の文章。そこから著者の香港観察の視点が伝わってくる。本の中に登場する写真は香港の街を普通に歩いていれば目にするものばかりだ。珍しい物や綺麗なものはない。本の中には香港のいつも通りの姿がある。が、赤瀬川原平が香港で感じた「垂直性」と「自制心の無さ」というものに興味がひかれる。垂直性というのは、本の中でも書かれているけど、「自分の地所を目いっぱい使うために、可能な限り背伸びしている」という上へ上へ伸びようとする気概。そして自制心の無さというのは「やれることは何でもやるという勢いで、それが建物のプロポーションににじみ出ている」ということ。赤瀬川原平は対象を観察し、香港人の行動規範を想像する。
香港の街を歩いていると香港人の態度が建物出ていて爽快感を得る事がある。そして香港はコンクリートに囲まれているにも関わらず、冷たい感じがしない。それは香港人が自分達が住んでいる街を自分好みにカスタマイズしたかのように、DIYの精神を感じるからだと思う。自分達が好きなように生きるんだ!という気概が建物、そして街から感じるのは清々しい。 そして建物が人間らしく感じてしまう。街の手作り感が香港にはあって、それが羨ましい。
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