2015/04/18

「香港返還」小木哲朗

JRの渋谷駅ホームまでの階段を登っているときに「新宿駅で安全確認を行った影響で電車の到着が遅れています」というアナウンスが聞こえた。「またかよ」と思いつつも、通勤ラッシュの時間にはよくあることだ。横からタンタンタンと階段を3段飛ばしの勢いで駆け上るスーツ姿の男が一瞬で去っていった。「またかよ」と思いつつも、その走りに人生が乗っかっているかのような姿は駅のホームではよくあることだ。階段を登りきると、駅ホームには想像以上に人が溢れていた。この朝、渋谷駅には場所、人、電車と余裕がなかった。数分の電車の遅れで駅ホームはもうパッツンパッツン。次に来る電車に乗るのを諦め、次の次に来る電車を待とうと思い列に並んだ。数分遅れで電車がやってきた。人がごった返す中、乗客は降り、待ちに待っていた人がグイグイ乗り込む。電車はパンパンになり、膨張感がある。松村邦洋ぐらいのサイズ感か。列の後ろに並んでいた人達は電車の中の押し詰め状態の人々を見ながら、次にくる電車を待っていた。扉がなかなか閉まらない中、電車の扉に男性が突っ込んで来た。年齢は65才ぐらいだろうか。笹野高史似の男性が乗車率300%の電車に飛び込んだ。電車に乗っている人も待っている人も声には出さないが心で「嘘でしょ?」という気持ちだったに違いない。ガバガバなサイズのスーツを着たその男性は、電車に乗車したと言っても体の四分の三が電車の「外」に出ていた。皆の視線がその男性のプルプル震える体に突き刺さる。靴のかかと、そして指先が扉の上部に引っ掛かっているだけで、体はエビ反っている。扉が閉まるというアナウンスにも関わらず、男性の体は弧を描いた状態。結局、腰をしっかり落とした駅員が両腕をしっかり伸ばし男性を押しに押し込みようやく扉が閉まった。全速力でホームを走る人や捨て身覚悟で電車に滑り込む人というなんとも余裕の無い人達に遭遇した朝だった。

エビ反りの男性に次の電車を待つという選択肢はなかったのかなと思い、昔読んだ本を思い出した。それは「香港返還」という本で、この中に登場した人は、余裕のある人達だったなと記憶している。この本は、著者が大学時代の1981年から1982年の間に香港に留学し、その後、大学の同級生達を訪問し、彼らがどのような人生を送っているのかインタビューを行ったもの。香港返還に対してエリートの香港人がどのような決断をして、どのような行動を取ったのか垣間見ることが出来る本だった。読後に感じたのは彼らの余裕のある心構えだった。彼らは自分の決断に自信を持っていて、自分で人生を選択したということで生まれる自負のような、しっかりと自分の人生と付き合う余裕さがあるように感じた。覚悟、そして決断したからこそ生まれる余裕。彼らに共通しているのは、自分達の選択肢を見極め、決断していることだった。例えばオーストラリアに移住した香港人女性の「私がもし香港に残って、この二年間不動産会社を続ければ、もしかしたら数千万、いや数億のお金が儲けられるかもしれません。しかしどんなにお金を払っても、香港では買えないものがあります。それはいざというときの''保証''です。私はその保証がほしいのです。人生には、その時々でやるべきことが決まっているものです。適切なときに行動を起こさなければなりません。代価はどうであれ、今やらなければ、機会を逃してしまう」という言葉には、数ある選択肢から自分でその道をピックアップしたというスタンスが余裕を感じさせる。

広島カープの黒田投手にも余裕を感じた。メジャーに残る選択もあったが、カープを選ぶ。難しい選択なだけに、決断には深い想いが宿る。そしてその誰にも共有出来ない自分だけの想いが、余裕を生み出している気がする。自分の立ち位置を明確にし、より精神的にも身体的にも余裕を持って野球に臨めると思う。カープで野球をする事の方が一球の重みを感じれるんじゃないかなと自分自身で判断した」という黒田投手の言葉。一球の重みを感じるためにカープを選ぶクールさは誰も真似出来ない。
小木哲朗「香港返還」1997年 朝日文庫

選択肢があり、決断した人々

昔の香港人男性の目標

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