アンは、女性飛行家の草分け的存在だった。1931年に、北太平洋航路調査のために夫のチャールズ・リンドバー グと共にニューヨークを出発した。そしてカナダ、アラスカ、そしてアリューシャン列島、千島列島という日本に連なる群島を経由して、根室、 霞ヶ浦、大阪、福岡に立ち寄った。福岡から、中国の漢口へ向かったが、事故のため航路調査は、そこで終了した。アンは、この時の飛行体験を『翼よ、北に』という本に記している。本書で、アンは作家としてデビューした。
冒頭に触れた『海からの贈物』は、彼女が1950年代初頭にフロリダの離島、キャプティブアイランドに滞在中に書いた。『翼よ、北に』と異なり、彼女の飛行経験や訪れた国々の話は登場しない。アンは『海からの贈物』で、人生について考え、女性について考え、そして幸せについて考えた。本書は、アンの自問自答だ。対話は、彼女が貝殻を海辺で拾うところから始まる。海辺でヤドカリが家として住んでいた貝殻を拾い、小柄ながらも、完璧に調和のとれた貝殻にアンは憧れる。それは、シンプルなヤドカリの住み家である貝殻に対して、アンの家は「苔が生し、寄生した藤壺でごつごつして、それが本当はどんな格好をしているのかさえ解らなくなった」ものだから。
アンは都市での複雑な生活を振り返り、その解決策を離島生活から探求する。アンは、「人生の調和」をもたらすヒントを見つけようと、島と島の人々を注意深く観察した。そしてこの観察が彼女を変えた。「島観察」から、アンは「違った価値基準」を学び取る。離島での2週間の滞在を終え、アンは人生を新たな尺度で眺める「島目線」を手に入れる」。休暇を終え、島を去る直前にアンはこう言っている。
「島での生活は、それを通してコネティカットでの私の生活を調べるレンズの役をしてくれた。私はこのレンズをなくしてはいけない。休みの間に与えられた視覚は段々に弱っていくもので、私は島の眼でものを見ることを忘れてはならない。貝殻が私にそれを思い出させてくれて、私の島の眼になってくれるだろうと思う」。
そして再びアンは、島を経験する。アンの夫、チャールズ・リンドバーグは、晩年にアンと共にハワイのマウイ島東海岸「キパフル」という人里離れた場所を最後の家に選んだ。チャールズはハワイに何度か訪れる度にすっかり気に入りハワイに住むことを決めた。もしかしたら、アンがチャールズに声高にハワイの生活を勧めたかも知れない。そこで彼はフィリピンやインドネシアなど世界各地で自然環境保護の活動を精力的に行った。そんな世界中を移動し続けた彼が、こんな言葉を残している。
"Life is like a landscape. You live in the midst of it but can describe it only from the vantage point of distance."
「ハワイこそ人生の全景を眺める場所に相応しい」。チャールズ、そしてアンにとって太平洋に浮かぶハワイこそ、人生を見渡すことが出来る絶好ポイントだったのかもしれない。
アンは、ハワイでチャールズと充実した生活をを楽しんでいたはずだ。二人は、夕日の日差しが差し込むカフェのテラス席にいる。高台のテラス席からハワイの青い海がパノラマのように広がり、水平線が眼前の眺めをくっきりと空と海を二等分している。ここには、余計なものは何も無い。そのとき店内の奥からタキシードを着用したウェイターがゆっくりテーブルに近づいてきた。ウェイターが白い小柄なコーヒーカップを手に取り、アンの手元に置こうとしたとき、アンの視線は穏やかに波打っている海からゆらゆら白っぽい湯気が立っているコーヒーに目移りした。今だけの大事な時間。アンは誰にも気付かれないほど小さく顔をほころばせながら、まだ充分熱いコーヒーを口に運んだ。アンは、ハワイでチャールズと二人だけの時間を満喫している。
『海からの贈物』著者:アン・モロウ・リンドバーグ 訳:吉田健一 新潮社 1967年出版 |
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