細谷巖によると「亀倉さんはあっという間に一枚の写真を選んだ」らしい。グラフィックデザイナーの亀倉雄策はあるポスターに使うために一枚の写真を手に取った。それは東京オリンピックのためのポスター。亀倉が東京オリンピックのためにデザインしたスタートダッシュのポスターを当時15才で見たユニクロ社長の柳井正は言う。「これからの日本はとてつもなく素晴らしい国になっていくと感じさせるデザインだった。その後、日本は高度成長の坂道をかけ上がっていきます。ああいった際立ったデザインの作品を作った人々が日本の成長を担っていたのだと思う」。一枚のポスターで日本の未来に希望を与えたグラフィックデザイナーが亀倉雄策だ。
東京オリンピックのポスターをデザインした亀倉雄策は闘うデザイナーだった。国内ではグラフィックデザイナーという職業は、今ほど確立しておらず、認知されていなかった。また外国からは、日本のグラフィックデザインは3流だと馬鹿にされていた。亀倉はその現状に不満だった。
日本宣伝美術会の結成、世界デザイン会議の主催。亀倉はグラフィックデザイナーの地位向上に努めた。また東京オリンピックでは、デザイン評論家の勝見勝をオリンピックのデザイン統括者に、記録映画の監督には市川崑を起用するように薦め、亀倉は東京オリンピックに形を与えた。そして亀倉自身は、東京オリンピックのポスターで世界中にインパクトを与える。
世界と闘うことを意識した亀倉は、東京オリンピックのポスターに「スタート」の瞬間をデザインした。ポスターには、スタートダッシュによる前方へ突き進むエネルギーが前傾姿勢の選手達から生まれている。前へ、前へという選手達の気持ちは、高度成長を突っ走る日本と重なっても不思議じゃない。エネルギーが溢れるこのポスターは、街中を歩く人々に日本がこれから世界相手に競争し、活躍する予感を想起させたのかもしれない。当時このポスターには信じられないほどの日本の期待と挑戦がパンパンに詰まったものだった気がする。
小学館から刊行された『TOKYOオリンピック物語』 は、日本の社会を変革した人々が登場する東京オリンピックを裏で支えた人々の物語。亀倉雄策の他に、選手村の料理長を務めた村上信夫や競技結果をリアルタイムで集計するシステムを作った竹下亨の話からオリンピックを契機に日本人の意識が変化したことが伝わってくる。世界と切迫する機会を得た日本人は、東京オリンピックに妙に興奮して、張り切って、そして日本を世界に押し上げた。
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