2010/07/22

円の25年前と人民元の25年後

2010年、円は、米ドルに対して5%上昇したが、 では人民元は? 約1ヶ月前の6月19日に、中国人民銀行は人民元の改革を進め、為替レートの柔軟性を高めると発表した。そしてこの発表後から1ヶ月経って、 0.8%米ドルに対して上昇。この変化の幅は、まるで微調整。それほど、為替レートの変動はゆっくりで、限定的。そしてアメリカのチャールズ・ シューマー上院議員は、この変動ペースに不満足。はたして人民元はどこを目指すのか?

2年前の2008年7月から開始された、米1ドルに対して6.83元と固定されたドルとのペッグ制を放棄した人民元はどの程度影響を与えるのか?例えば「世界経済の不均衡 」という状況に、人民元の上昇は効果的な解決策となりうるのか。その疑問の前に、そもそも、中国は人民元をどれほどのペースで、どこまで切り上げるつもりなのだろう?

人民元は、中国国内の経済を痛めない、そして深刻な問題が発生しないペースと幅で上昇する。中国は、日本の急激な円の切り上げの教訓を知っている。知っていなくても、ゆっくりなんだろうけど。

円は、1985年のプラザ合意の後に、急激に上昇した。プラザ合意は1985年の9月22日に発表され、その翌日の月曜日に米1ドルが235円から約20円下落し、215円に。11月25日には200円を記録し、1年4ヶ月後の1987年1月19日に150円へ。この激しい円の上昇に反応して、円高による不況が始まった。その防止のために低金利政策が取られたが、その結果、不動産、株式への投機が高まり、バブルが発生する。結局1990年前後に株、土地の価格が急速に下落し、多数の投資家が資産を失うと同時に後にやっかいな不良債権などの問題が発生し、現在に続くデフレの状況がバブル崩壊以後、20年近く続いている。バブルの影響を今でも受けているわけで、その根源は通貨の大幅な変動にあった。通貨の変動は、当時は気づかないかもしれないが、後の数十年の経済状況を混乱させる効力があった。

中国も、日本のように通貨の急激な上昇が輸出産業を苦しめ、短期的に過剰な投機を刺激するとともに、ヘタすれば、将来デフレのような問題に発展する可能性もある。通貨の政策には慎重な、長期的な視点が欠かせない。日本のように、数十年も賃金が上昇しない状況になると、なにより社会のテンションが下がって、活気が失せる。つまり元がかつての円のように急上昇するのは、中国とって理想的ではない。

そして中国の産業構造からして、元の急激な切り上げは、ダメージが大きい。中国は輸出産業に頼っているため、急速な元の切り上げは、国内輸出企業にインパクトのある打撃を与える。通貨の切り上げで国内企業の成長が停滞すれば、企業は雇用を止め、さらに従業員の解雇をしなければいけない。この状況を当然中国、そして元気の無い世界の国々も望まないし、中国の経済活動をカバー出来ない。

アメリカからすれば、過去の日本のように、 さっさと通貨をアメリカが恩恵を受けるレベルまで切り上げて欲しいのかもしれないが、それをすれば中国経済がかつての日本のようになってしまうおそれがある。いくら元の切り上げが 「世界経済の不均衡」の解決に向かうとしても、 国内経済の成長が止まり、そして問題が発生するなら、中国は元の切り上げを急がない。中国は国内の経済状況と照らし合わせ、問題が発生しないペースで通貨を上昇させていく、つまり中国は国内の問題を優先する。

では、中国はなぜ人民元を米ドルとのペッグを放棄したのか?何か中国に良いことがあるのか?1つは、米ドルとのペッグ制を止めたことによって不当にコントロールされた通貨を通して輸出企業が利益を得てるという批判に応えたこと。この調子だと再び、批判されるかもしれないが。2つ目は、中国は世界最大の米国債保有国だが、ドルとのペッグ制を放棄して、米ドルの下落のリスクをもろに受けるような状況から、例えば、米ドルのリスクを分散するような自由な通貨政策が可能になった。最後に、金利を上げない代わりに、通貨高によって原油や石炭などの輸入品の価格下落を通じてインフレーションを抑えることが出来る。人民元の改革を通して、中国は徐々に自分たちの望むシステムを構築している。


25年前のプラザ合意を現代から眺めたら、結果的に、日本の今日の生活に大きな影響をもたらしている。プラザ合意のインパクトはすごかった。その教訓は中国の参考資料となっている。そして中国は、これから過去の日本の過ちに陥らないように進んでいく。25年後に、今回の中国の為替政策にどのように判断されるのか。

もしかして、25年後に中国の今回の為替政策が経済の停滞を生む原因として参考資料となったりするのかな。

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