2003年、初めて香港に行って香港を知った。その頃、九龍城砦や啓徳空港といった香港を象徴する場所は無かった。と言うことは当時気にしていなかったが、2003年、香港ではSARSが流行しており、その影響で多くの旅行客が香港のツアーを取り止めたり、訪問するのを敬遠していたのを覚えてる。当時の自分はそんなことは気にしていなかった。気にしても仕方ないと思っていたし、海外に行く機会もそんなに無いと思っていた。そして香港を知って、ハイブランドの商品どこで買うべきか知った。(未だに香港に行ってもプライスタグを指先でめくり溜息の連続)香港は自分の想像を超える場所で、香港には旨いお粥が存在している事を知った。そして英語が出来ないと馬鹿にされる事も心に刻まれた。(日本の接客のクオリティーに初めて気付いた瞬間でもあった)2003年以降に何度も香港に滞在し、香港の唯一無味な空気を楽しんだ。そして先日、違う意味で2003年に香港に行けて良かったと思った。それはSARSの影響が昔ながらの香港の街並みを変えたということを先日、ある対談で知ってからだった。
写真家のエリックさんと「転がる香港に苔は生えない」の著者の星野博美さんの対談で香港の街が移民の影響で変化していると知った。そのきっかけはSARSだったらしい。2003年にSARSで経済的な打撃を受けた香港は中国大陸のお金を目当てに投資移民制度を開始した。甘い制度だ。香港に大陸から人が押し寄せた。投資移民は不動産に投資し、不動産価格は上昇。昔から茶餐廳を営んでいたお店は家賃の高騰で商売が続けられなくなった。またどの街にも似たような店が並んでいるらしい。「化粧品」「宝飾品」「安全な食」という大陸から来る人が望むものを売る店ばかりになり、昔ながらの香港人の生活、遊びのための店が消え、香港人の居場所が無くなっていると知った。12年前に流行したSARSが、香港の街並を変化させた一つの要因だと知るとそのスピードに驚く。自分が香港に初めて訪れた2003年から始まった移民制度が香港の景色や香港人の生活を変えている。
手元には約30年前に出版された香港本がある。その中にも当時の消えつつある香港が紹介されている。いつの時代も香港は変化しているとことを感じながらも、この本からは、なにより「香港人」らしさを意識せざる得なかった。「香港市民生活見聞」という漢字が8文字連なったタイトルの文庫本。香港人が生きるうえでの身構えみたいなものが感じられる本で著者は写真家の島尾伸三。まず表紙がいい。貴人紙というお祝いのときに使用する香港の伝統的な紙のデザインを活かしたカバーが使用されている。めでたさが力強く伝わってくる。ちなみに香港本の表紙でピンと来たのはこの本と星野博美さんの「転がる香港に苔は生えない」。表紙の写真も、カバーを取って見える真っ赤な装幀も想像を超えていた。2人とも写真をやっているのが共通点だ。
「転がる香港に苔は生えない」が香港人に寄り添って彼らの生活をズーム撮影したような本ならば、「香港市民生活見聞」は香港人の生活をスナップショットのように撮影し、人々の生活を淡々とスケッチしている感じがする。巷の香港本が、外部から眺めた興味本位的な視点で香港について書かれていることが多い気がするが、この2冊は時として香港人と同じ立ち位置で物事を見ている気がする。それが新鮮な感じがする。何を書くかその立ち位置をきちんと確認し、自分のレンズで覗いてるのが伝わる。しかもそのレンズは既製品じゃない。そして狙いを定めた焦点は独自のもの。対象との独特の距離感。特に星野レンズは「人と人との距離感」に焦点を定めた時のキレ味とフレーミングは絶妙。今現在、カメラそのものは置いてるかもしれないが、レンズは日々の思考と観察で磨かれている気が、、、。話がそれたので、そろそろ島尾レンズの話に。
写真家のエリックさんと「転がる香港に苔は生えない」の著者の星野博美さんの対談で香港の街が移民の影響で変化していると知った。そのきっかけはSARSだったらしい。2003年にSARSで経済的な打撃を受けた香港は中国大陸のお金を目当てに投資移民制度を開始した。甘い制度だ。香港に大陸から人が押し寄せた。投資移民は不動産に投資し、不動産価格は上昇。昔から茶餐廳を営んでいたお店は家賃の高騰で商売が続けられなくなった。またどの街にも似たような店が並んでいるらしい。「化粧品」「宝飾品」「安全な食」という大陸から来る人が望むものを売る店ばかりになり、昔ながらの香港人の生活、遊びのための店が消え、香港人の居場所が無くなっていると知った。12年前に流行したSARSが、香港の街並を変化させた一つの要因だと知るとそのスピードに驚く。自分が香港に初めて訪れた2003年から始まった移民制度が香港の景色や香港人の生活を変えている。
手元には約30年前に出版された香港本がある。その中にも当時の消えつつある香港が紹介されている。いつの時代も香港は変化しているとことを感じながらも、この本からは、なにより「香港人」らしさを意識せざる得なかった。「香港市民生活見聞」という漢字が8文字連なったタイトルの文庫本。香港人が生きるうえでの身構えみたいなものが感じられる本で著者は写真家の島尾伸三。まず表紙がいい。貴人紙というお祝いのときに使用する香港の伝統的な紙のデザインを活かしたカバーが使用されている。めでたさが力強く伝わってくる。ちなみに香港本の表紙でピンと来たのはこの本と星野博美さんの「転がる香港に苔は生えない」。表紙の写真も、カバーを取って見える真っ赤な装幀も想像を超えていた。2人とも写真をやっているのが共通点だ。
「転がる香港に苔は生えない」が香港人に寄り添って彼らの生活をズーム撮影したような本ならば、「香港市民生活見聞」は香港人の生活をスナップショットのように撮影し、人々の生活を淡々とスケッチしている感じがする。巷の香港本が、外部から眺めた興味本位的な視点で香港について書かれていることが多い気がするが、この2冊は時として香港人と同じ立ち位置で物事を見ている気がする。それが新鮮な感じがする。何を書くかその立ち位置をきちんと確認し、自分のレンズで覗いてるのが伝わる。しかもそのレンズは既製品じゃない。そして狙いを定めた焦点は独自のもの。対象との独特の距離感。特に星野レンズは「人と人との距離感」に焦点を定めた時のキレ味とフレーミングは絶妙。今現在、カメラそのものは置いてるかもしれないが、レンズは日々の思考と観察で磨かれている気が、、、。話がそれたので、そろそろ島尾レンズの話に。
「香港市民生活見聞」はジャングルから始まる。著者は、ボルネオ島の熱帯雨林ジャングルに流れる川を小舟で流れに逆らい首狩りの習慣が残っていたという陸ダヤク族の村へ向かう。そしてボルネオで著者は、現地で中国文化に関心を引き寄せられる。ボルネオにあるお店でみた商品のほとんどが中国製、あるいは香港製であることに気付く。また現地で中国人の世話を受け、「華僑」に興味を持った著者は香港へ向かう。
そして香港に降り立った著者は香港の街を闊歩し、彷徨い、時に見知らぬ市場の商人に罵倒される。見たこと、香港の友人から聞いたこと、興味をもって調べたことを淡々と記す。時々、妙な話題、例えば「白粉(アヘン)製造」の話が突然出て来て、やけに詳しく書かれていたりする。話が脱線しているように感じられるが、興味が赴くままに書いているのが伝わって清々しい。なにより、その唐突さが香港らしい。何に出くわすか分からない楽しさがある。そして読み進むうちにだんだん香港人の「生活の規律」のような、香港人の人生に対する態度のようなものが身にしみてくる。
例えば、風水、祖先を大事にすること、占いへの傾倒。これらは今生きているということを意識させるような慣習だと思えてくる。 風水に神経を尖らすということは、自分が生活している場所を正確に認識すること。今の自分の立ち位置は間違ってないか?その問いが生活を律する。祖先を思う事は、自然と今生きている自分を意識せざる得ない。そして占い。将来を決める運命は今の行いに懸かっている。自分を越えた存在に対して意識的に、しかも日々の生活の中で、接する、考える、思うことで「今」をより強く感じるような感覚が育まれる気がした。自分がコントロール出来ない対象に対して、過剰なほど気持ちを注ぎ、自然の力や運さえも自分の味方につける。そして信頼出来る友人や知り合いに想いを注ぐ。日本人は、「物」に対して良い意味でも悪い意味でも異常に情熱を注いでいる気がするが、一方香港人は、見えない物や人との関係に想いを込めている気がした。何を意識的に見てるかで、今が変わる。ふと香港には眼鏡を掛けている人の多さを思い出した。見えないものを意識的に見ようとすることで眼が悪くなっているのではないか?ここにも眼に見えない力が働いてると思わざる得ない。
また香港人は自分の骨にも想いを巡らしていることをこの本で知った。
「自分の一生を知りたければ、自分の骨の重さを計ればよいのだそうです。人は生まれながらにして成人した時の骨の重さが決まっていて、この重さがその人の富貴貧銭を決めているというのです。〜勇気の必要な仕事(悪い仕事、大きい商売)をする人は、自分の一生がわかっていれば、思い切った勝負が打てるといって、骨の重さを計ります。」 香港人は日々、牛乳を沢山飲んでいるかもしれない。牛乳瓶の底から眺めて「見えない世界」をよりリアルに感じる為に。
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